恩師とは吉田茂である。加えてもうひとつの要因があった。米国側の事情である。1964年に首相に就任していた佐藤だが、70年の日米安全保障条約の継続が、日本に基地を展開する米国にとっては重要だった。
当時の米国はベトナム戦争の泥沼の中にあり、内政が混乱していた事情もあった。さらに、当時の駐日米大使は、かのエドウイン・ライシャワー氏であった。大使自ら沖縄を訪れて返還の必要性を感じていたことや、訪日したロバート・ケネディ司法長官に沖縄返還を熱心に説得する様子が紹介されるが、いずれの場面も印象深い。
密使外交が諸刃の剣であった内幕
沖縄返還交渉のハイライトは、本書が紙幅を割いて注目している点からもわかるように、佐藤首相が「密使」を派遣して交渉を進める場面である。当時の日米交渉の背景と論点を著者は以下のようにわかりやすくまとめている。69年11月の日米首脳会談が迫る場面である。
こうした状況の中で密使による交渉が本格化する。しかし当初は佐藤と密使である若泉敬氏の中での考え方が違っていたことが示される。若泉が当時のジョンソン大統領側近であるヘンリー・キッシンジャー氏と佐藤が直接交渉する「ホワイトハウスとのホットライン」を作るよう指南するにもかかわらず、佐藤はあまり乗り気でない様子であったことが見てとれる。だが交渉が進むにつれ、佐藤も若泉の意見に従ってゆく様子がわかる。
さらに交渉の中で沖縄返還にじわじわと日米間の貿易摩擦である繊維問題がからんでゆく様子も記される。通常の外交ルートとは異なるチャネルでの生々しい交渉の様子が描かれ、さまざまな「特別な取り決め」に向かっていく様子は興味深い。
なぜ佐藤はこうした密使外交にのめり込んでいったのか。著者はその理由の一つに、早期返還に後ろ向きだった外務省に不信感があったことをあげる。そして密使外交は、官僚には託しにくい政治的な要求をのませる成果を得られる一方、秘密であるがゆえに日本の安全保障の根幹に関わる問題に組織や人的資源を総動員できなかった「諸刃の剣」だったことも指摘する。