長くデフレの時代が続いてきたわが国に、いよいよ「インフレ」の4文字が意識されはじめた。食品などモノの値段が顕著に上がり始めているからだ。これまで物価の上昇といっても、長年デフレに苦しんだ日本には関係がなく、欧米などどこか遠い外国のものという意識が強かった。
しかし、信用調査会社・帝国データバンクの調べによると食品の主要105社だけで累計6000品目超が2022年中に値上げされ、価格改定率は平均11%に及ぶという。長期に及んだデフレでモノの値段が上がらず、逆に下がることも多かったことを考えるとすっかり様変わりである。
原油価格や原材料費の高騰に加え、最近のロシアのウクライナ侵攻による経済制裁や物流の混乱で、ロシアからの輸入品を含め価格が上昇する品目は今後も増える可能性がある。加えて最近の円安も輸入価格が上昇する日本にとっては大打撃である。生活者レベルでも値上がりを意識せざるをえず、国内消費の減少は避けられない。
物価とは「蚊柱」である
そんな社会の風潮を反映してか、本書『物価とは何か』(講談社選書メチエ)が今年1月の発売以降、ロングセラーになっている。著者の渡辺努氏は東京大学大学院教授という気鋭の経済学者であり、物価をどうとらえればよいか、分かりやすく解説している。
冒頭の比喩がまずおもしろい。著者は物価のとらえ方を「蚊柱」と表現する。 夏の頃、多くの蚊が集まって黒々とした柱のようになるあの一群である。遠方からみると柱のようにひとつの物体に見えるが、近づいてみると蚊の一匹一匹の集まりである。そのイメージをもとに著者はこう記す。
まさに言い得て妙である。この比喩は経済学者・岩井克人氏が用いたものだと著者は紹介するが、本書のテーマにもよく当てはまる。本書はこの比喩を効果的に使って物価の本質を読み解く。
商品それぞれに値段の動きがあってもいいが、全体として1カ所に落ち着いていれば物価は安定している。全体が右や左、上や下に急速度で移動する状態がインフレ(物価上昇)やデフレ(物価下落)になる。全体が動かない場合もあるが、売り手や買い手の事情で価格が上下する経済の健全な動きが止まる場合は異変であり、長らく日本経済はそれに近い状態にあったと指摘する。そして「蚊柱」の動きを決めているのは貨幣への需要とその背後にある貨幣の魅力であり、貨幣の魅力とは裏付けとなる国の税収がしっかりあることだと持論を説く。