2024年11月23日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2022年5月7日

 一定年齢以上の世代の日本人が物価上昇について記憶するリアルな経験は、1974年のインフレだろう。それは「狂乱物価」という言葉とともに今も語られる。当時はオイルショックによる原油価格の上昇が指摘されたが、その後の検証で、日本銀行の市場への貨幣の過剰供給が原因だったと分析されている。このインフレの記憶は強烈で、以来、日本社会に刷り込まれている。

 著者は、一部の商品の値上げが物価に直接的に影響することはないと指摘する。一例として、菅義偉前政権が推進した携帯電話の料金引き下げなどのように一部の商品の値下げで消費者物価指数が動くと考えるのは正しくないという。

いかにして物価は動くのか

 本書では何が物価を動かすのかについても分析する。著者が指摘するのは明日どうなるかという予想であり、いわば「気の持ちよう」という点である。さらに社会の人々が共有する「ノルム(norm=社会的規範)」も要素の一つであると指摘する。

 ノルムの意味は、物価や賃金の先行きについての社会のコンセンサスであり、いわばスマホやパソコンの「デフォルト」(規定値)の状態であると著者はたとえる。 長らく物価は上がらないと思い込んでいた日本の状況はまさに「social norm」であろう。現在は学会の表舞台などでは「予想」という言葉に取って代わられているが、説明のニュアンスとしてはノルムがしっくりくる場合もある。

 そして予想にもいろいろな形があり、企業や消費者、労働者など民間主体のほか、中央銀行などもプレーヤーのひとりにすぎないことを示す。それゆえに中央銀行が積極的に語りかける意義についても紹介する。

 その名手が2006年から14年まで米連邦準備制度理事会(FRB)議長を務めたベン・バーナンキ氏である。当時の金融緩和政策が先々まで続くと市場に適切に伝える「フォワードガイダンス」という手法を、政策判断として巧みに活用したという指摘は興味深い。

 さらに印象的な指摘は、1980年代後半のバブルの時代は、景気が過熱していたにもかかわらず、消費者物価指数で測ったインフレ率は株価がピークをつけた89年12月でも2.9%にすぎず、一方、バブルがはじけて景気が悪化した時もインフレ率は2.5%程度で物価安定が損なわれているとは言えなかった点である。ここで著者はこう指摘する

「物価が1980年代後半にもっと上がっていれば、どうなっていたでしょうか。日銀はもっと早く金融引き締めに転じた可能性があります。もしそうしていれば、バブルがあそこまで大きくなるのを防げたかもしれません。あるいは、1990年代前半にもっと物価が下がっていたら、日銀は低すぎるインフレやデフレのリスクを意識して、もっと早く、もっと大胆な金融緩和を行っていたことでしょう。そうしていれば、その後に生じた金融機関の破綻を防げたかもしれません」

 著者は起こらなかった現象、すなわち物価が動かなかったことについては認識されず、説明されることもなかったという見方を示す。さらに2013年に日本銀行がデフレからの脱却を目指す大規模な金融緩和を行っても物価が動かなかったという事実を前に、どうすれば動くのかという議論がようやく始まったと見る。


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