2024年7月22日(月)

「子縁」でつながる秋津地域のお父さん 

2013年4月8日

児童数減少で花壇を地域に開放

 で、話をお父さんたちの活躍に戻すね。

 じつはビオトープづくり以前に、児童数の減少で空いた花壇を私の次のPTA会長の窪田正お父さんが長谷川昭次校長さん(当時)に相談し、すでに開放してもらい草花や野菜などの栽培をお父さんたちで開始していたんです。1992年のことです。

 当時は開校後12年が経過し、児童数は最盛期から600人台にまで半減していました。ということは、学級数も減り同時に先生の数も減って学級花壇もかなり空きはじめていました。でも校庭の敷地面積は減りません。つまり、減った先生だけで花壇をきれいに保つことは困難になってきていたのです。だから花壇の開放は、学校にもメリットがあったのです。

 で、花壇を借りた直後のこと。

 「花壇に名前をつけなきゃね」と、窪田お父さんがいいました。

 「そうだね、う~ん、おやじたちが借りたんだから『おやじの畑』がいいんじゃない!」

校庭の空き花壇を借りて「おやじの畑」の看板を掲げたころ。1992年

 「うん、そうしよう!」と安直に決めて掲げた看板と当時の畑のようすがこの写真。

 で、お父さんたちは「おやじの畑」とそのまんまの名前のサークルを立ち上げて活動開始。

 長いこと使っていない花壇だったために土を耕すことからはじめました。そして園芸店から苗を買い、花や野菜などを植えはじめました。

 土の感触がとっても気持ちよかった記憶があります。お父さん仲間はみんな団地であることからベランダでは味わうことができない新しい楽しみを発見したんです。

「おやじの畑」から「うらの畑」に

 おやじの畑の開放からしばらくすると、PTA役員仲間の佐竹幸子お母さんがおやじの畑にやってきました。そしてお父さんたちにいいました。

 「この畑、お父さんしか使えないんですか?」とね。

 お父さんたちは当惑しました。

 「いやいや、だれでも使えますよ」といいながらも、「そうか、看板の『おやじ』がまずいよね」と気づき、お母さんたちへの配慮がたりなかったことを幸子さんに謝り仲間になってもらいました。


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