長期で総合的な視点を欠いたままに短兵急な外交を繰り返すなら、日本とASEAN諸国の距離は開くことはあっても、接近することは難しいだろう。
その一端は、5月末に外務省が明らかにした「令和3年度海外対日世論調査」が物語る。それによれば、ASEAN諸国の一般の人にとって「今後重要なパートナーとなる国」のトップは中国(48%)であり、日本は2位(43%)に後退している。因みに19年に実施された前回調査では日本(51%)、中国(48%)であった。この結果に、日本のASEAN外交が示す経年劣化、長期に亘る不作為が反映されているように思える。
ASEAN諸国との間の「心と心の触れあう信頼関係」の構築に日本の関心が薄れるのとは反比例するかのように、東南アジアは中国の裏庭化への道を歩んでいたのである。
さまざまな形で仕組みづくりを模索
それまでの過剰なまでのイデオロギーを捨て、中国が実利的なASEAN外交を展開するようになったのは、天安門事件前後のことである。民主諸党派の1つである九三学社の提言を受けた当時の江沢民政権が、東南アジア大陸部と国境を接する最貧地域(雲南・四川・貴州・広西など)の経済開発を目指し、雲南省を橋頭堡に南方に向け国境を開放したのだ。この政策を李鵬、喬石、李瑞環など当時の共産党指導部が前向きに捉えたばかりか、以後の胡錦濤政権、さらに現在の習近平政権にまで継続されている。
以来、中国は雲南省の省都である昆明をハブに、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムに広がる国境を跨いだ物流ネットワークの構築を進めてきた。このような一帯一路の原型とも言える国家プロジェクトと同時並行的に、さまざまなレベルで国境を越えた国際的な仕組み作りを進めていた。
たとえば胡錦濤政権(02~12年)を見ても、北部湾(「トンキン湾」)一帯の総合開発を目指した「泛北部湾経済合作論壇」と「泛北部湾区域経済合作市長論壇」、中国の企業家と華人企業家を結びつける「中国僑商投資企業協会」、ASEAN主要国に加え中国各地、香港、マカオなど10を超える国と地域から30人ほどの有力企業家が参集する「華商円卓会議」、ASEANの有力華人企業家が構成する「東盟華商会」、メコン川流域の国際協力を掲げる「大湄公河次区域経済合作経済走廊招商引資項目推介会」などである。
習近平政権は昆明を起点にラオスの首都であるヴィエンチャンを繋ぐ「昆万鉄路」を建設し、新型コロナ禍にもかかわらず、昨年12月には予定を早めて完成させた。カンボジア最大の国際港を擁するシハヌーク・ビルは中国人の街と化しつつある。欧米からの批判を無視するかのように習近平政権は新型コロナ外交を推し進めている。ラオスとカンボジアは中国の衛星国と化し、ミャンマーもまた軍事政権下で一歩も二歩も中国に近づいている。もっともアウンサン・スーチー前政権でも中国との結びつきは模索されていた。
中国に従順であるわけではないASEAN諸国の側面
このような動きに対し、日本ではASEAN諸国が中国に牛耳られてしまうと危惧する声も聞かれる。だが、じつはASEAN諸国はヤワではない。
たとえばタイ。中国に対し位負けするような素振りも見せない。自らの持つ地政学上の優位を中国の鼻先にチラつかせながら、大国である中国を時に翻弄する。昆万鉄路はヴィエンチャン郊外でメコン川を越えタイ国内を南下させバンコクに結びつけ、さらにマレー半島を南下させマレーシア国内を縦断しシンガポールに到達させてこそ国際鉄路としての役割を果たせる。であればこそ中国としては昆万鉄路のタイ国内への延伸は至上命題となる。
加えるに習近平政権の外交戦略の柱である一帯一路を確固としたものにするためにも、東南アジア大陸部に位置するタイを無視はできない。そのこと熟知するからこそ、タイは焦ることなく中国との交渉に臨んできた。
だが、だからといってタイは中国の面子を潰すようなことはしない。