父を亡くした後に
その思いを知る
父から十分な引き継ぎを受けたわけではない。昭和天皇の大喪の礼が雨で、前原光榮商店の傘が使われたことが話題になり、父は多くのインタビューなどを受けていた。そんな記事を読みあさり、父の傘に対する思いをかみしめた。「雨の日を楽しくする傘を作らなければいけない」。新車を買えばドライブがしたくなるように、本物の傘を手に入れたら雨の日が待ち遠しくなる、というわけだ。おそらく祖父の代から、そう言い続けて前原光榮商店は傘を作り続けてきたのだろう。
伝統を守る一方で、若い感性も商品作り、店作りに生かしてきた。2011年にはいち早く直営のオンラインストアを開設した。「前原光榮商店」のロゴやトンボ洋傘のトレードマークは創業のままレトロな雰囲気を生かし、本物の傘を作るという「原点」を見つめ直した。一方で、ホームページはぐんとお洒落なものに変えていった。
そこへ新型コロナウイルスの蔓延が襲う。「不謹慎な言い方ですが、新型コロナがあって良かったと思っています」と前原さん。それまでの事業のやり方を一気に変えるきっかけになったからだという。
それまで売り上げの多くは百貨店に依存していた。新型コロナ対策で百貨店が営業自粛に追い込まれた結果、売り上げがゼロになった。
「原点に立ち返って考えたんです。本物の逸品をお客様に提供するのが原点なのに、売り上げありきで百貨店の言いなりになっていた。原点からズレていたんです」と前原さん。ある百貨店のバイヤーからは「3万円の傘はいらないので、1万円ぐらいで作ってください。前原光榮商店のブランドで1万円なら売れますから」と言われたことで、吹っ切れた。
思い切って百貨店と販売条件の見直しなどを交渉した。百貨店に出す場合、売り場に販売員を出すことを求められるうえ、売り上げの5割近くをもっていかれた。売り上げは上がっていても利益が小さくなっていたのだ。
本物を作り続けるには、自社の社員だけでなく、部品を納入してくれる協力会社の職人たちにも報いていかなければ永続しない。下請けを叩いて価格を下げていけば、品質が落ち、いずれ本物が作れなくなる。交渉の結果、取引を打ち切られた百貨店もあったが、趣旨を理解して見直しに応じてくれた百貨店もあった。
新型コロナで人々の購買行動が大きく変わり、オンラインショップの売り上げが大きく伸びた。7割以上あった百貨店向け売り上げは今は3割を切った。当然、利益率は大きく改善した。