次に、肥満について話を切り出すタイミングについて。
T.H.さんのように、肥満(と思われる)患者はしばしば肥満とは別の問題で受診する。そんな時にどのタイミングでどのように肥満について切り出したら患者の抵抗や違和感を少なくできるだろうか。さらに、実際そうすることで患者の健康は改善するのだろうか。この答えも結構難しい。
例えば、タバコであれば、患者が喫煙していることを知った家庭医が診療時間にごく短いアドバイスをすることでその患者の禁煙率が数倍増加することは知られている。だから家庭医は、どんなに忙しくても「タバコをやめようと思ったことはありませんか」などと患者に尋ねてみるのだ。
肥満についてはどうだろうか。2016年になってようやく、肥満についても家庭医のごく短いアドバイスが有益であることを示す研究が、英国の医学雑誌『ランセット』に発表された。
ただ、健康について利用できる社会的資源が日本と英国では異なるので、「社会的処方」と呼ばれる内容が含まれるこの研究の結果を日本に適用するには、少なからず工夫が必要になる。
そして倫理的にも厄介な問題が、肥満への偏見と汚名だ。
ケアの現場で体重が多い患者に対して向けられる「偏見」と患者がこうむる「汚名」(weight bias & stigmaと呼ばれる)は、患者に少なからず害をもたらしケアの結果に悪影響を及ぼす。研究によれば、そのような偏見が医師、看護師、臨床心理士、栄養士、医学生、そして肥満医療の専門家にさえ認められるという。
そのため、米国コネティカット大学では、研究と政策を通じてこの問題と食糧問題にも取り組むUConn Rudd Center for Food Policy & Healthを設立し、肥満をもつ患者のケアをする際に医療者が抱きやすい偏見を改善するための多数の教材を無料で提供している。
このように、肥満のケアは、単に運動や食事についてアドバイスすれば良い生活習慣病のケアとは異なる。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』
こうした社会と深く関わる健康問題を考えるとき、私には思い出す映画がある。『I, Daniel Blake』(邦題『わたしは、ダニエル・ブレイク』、監督ケン・ローチ、主演デイヴ・ジョーンズ、2016年)だ。同年、第69回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞している。
腕の良い大工として、最愛の妻と死別した後も実直に生きてきた59歳のダニエル・ブレイクが、仕事をしたくても心臓病になって医師から仕事を禁止され、公的支援を受けようとするが、理不尽なまでに複雑で硬直した申請手続きによって制度の利用を阻まれ続ける。
映画のタイトルにもなっている「私、ダニエル・ブレイクは……」に始まる抗議文が彼によって街路の壁にスプレーで書き出され、道行く人たちは連帯の喝釆を送るが……。
「社会保障制度は誰のものなのか」ダニエル・ブレイクの物語も交えつつ、私の患者、T.H.さんのその後の診療経過について、来月またお伝えしたい。