相反する動きも見せる両国
米中関係に影響を与えるというなら、台湾への軍事的コミットメントを認めたバイデン氏自身の発言の方がよほどインパクトは強いだろう。
大統領は22年5月、東京での日米首脳会談後の共同記者会見で、台湾有事の際、軍事介入の意志があるか聞かれて「ある。われわれの決意だ」と明確に述べた。明らかな方針転換だった。
自ら強硬な発言を弄し、一方ではペロシ訪台には反対するという2重基準、台湾海峡の安定を望むという意思がどこまで本気か疑われかねないだろう。
看過できない動きは中国側にもあった。
習主席は、バイデン大統領が先月、新型コロナウィルスに感染した際、丁重な見舞い電報を送った。「心からのお見舞い」の意を示し、「一日も早い回復を祈る」とのメッセージをあわせて伝えた。
主席は、米大統領選直前の20年10月、トランプ大統領(当時)が感染した時にも見舞い電を送っているが、その時は「心からの」という言葉はなく、表現の違いが憶測を呼んでいる。
懇切な見舞い、下院議長訪台への声高の反対表明は、突飛な見方かもしれないが、何らかのシグナルだったと推測できないだろうか。
外交儀礼には〝裏〟がある
思い起こせば終戦間近の1945年4月、米国のルーズベルト大統領が死去した際、日本の鈴木貫太郎首相は、丁重な弔意を伝え、敵国民である米国民にも感銘を与えた。国内の異論を押し切ってのお悔やみには、「武士道精神」の発露だけではなく、やがて終戦について米側と交渉する日が来た際の好影響を期待する深慮遠謀もあったろう。
米国では今年秋に中間選挙が行われ、上院議員の3分の1、下院議員全員が改選される。与党・民主党の苦戦が伝えられている。すでに触れたように、中国では秋の党大会で、習主席が3期目政権を実現させるという大きな政治イベントが予定されている。
米中双方が緊張状態にありながら、様子を見るだけでなく、宥和路線に転じたほうが得策と考える可能性もあながち否定しきれないだろう。
煮え湯飲まされた日本の経験
「ある朝、目が覚めたら米国が中華人民共和国を外交承認していた」――。日中、米中国交正常化のはるか以前に駐米大使を務めた日本の外交官の〝悪夢〟は、1971年の米中による日本の頭越し接近、翌年のニクソン米大統領(当時)の訪中で不幸にも現実となった。
米国は国共内戦後、北京政府(中華人民共和国)を承認せず、台湾に逃れた国民政府(中華民国)と外交関係を維持、中国の国連加盟にも一貫して反対してきた。
71年7月にニクソン大統領が突然、世界を驚かせる中国訪問を発表、長年の中国封じ込め政策に終止符を打った。ベトナム戦争の終結をめざして、北ベトナム(当時)を支持していた中国に接近し、あわせて中国と対立していたソ連をけん制しようという思惑だった。
米国はニクソン訪中計画を日本には一切説明することなく進めた。協力して親台湾、中国の国連加盟阻止の旗振り役を担ってきた日本がメンツを失った象徴的な事件だった。
国民の反米感情が高まり、72年7月に発足した田中角栄内閣をして、組閣2カ月後に、米国に先んじて日中国交正常化を断行させる遠因となった。
米国の不信義に泣かされたケースは、これにとどまらない。