2022年8月11日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年7月24日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 7月8日の奈良における安倍晋三元首相の横死が余りにも衝撃的であり、安倍元首相の日本社会中枢における存在感、内外への影響力・発信力、海外における幅広い人脈や知名度に思いを致すなら、メディアが犯人の証言として伝える犯行への動機や経緯などを十分に考慮しても、「民主主義への挑戦」「言論の自由を暴力で封じる暴挙」などの常套句で糾弾すれば事足りるような性質の事件でないことでけは確かだ。であればこそ、事件は時が過ぎてもなお日本社会を揺さぶり続けるに違いない。

安倍元首相銃撃事件直後の9日に米国のブリンケン国務長官と中国の王毅外相が会談するなど、世界は動いている

 ここで目を国外に転ずるなら、ウクライナ戦争を機に混迷の度を加える世界だが、一方で〝ウクライナ後〟を見据えて次の段階を模索し始めたようにも思われる。

 日本で異常な事件に政治が翻弄され、社会がザワつき、世論が沸騰している間に、国際社会は新たな秩序構築に向けてソロリと動き出す。いま日本を取り巻いて広がりつつある風景を、いつか、どこかで見た記憶があるような。

 そこで思い至るのが、今から半世紀を遡った1972年である。

あさま山荘事件とニクソン訪中

 72年2月、日本は2つの予期せぬ大事件を前に驚愕し、たじろぎ、立ち止まり、考え、そして戸惑うばかりであった。

 国内では現実を無視した独りよがりな新左翼の過激な革命運動が行き着いた果ての「あさま山荘事件」(2月19~28日)が勃発し、国外では国際関係における旧来の常識では想定し難い「ニクソン訪中」(2月21~28日)が粛々と進められていたのである。

 ごく一部の担当者を除き、当時のわが国外交当局者にとって米大統領訪中というシナリオは思いもよらなかっただろう。だが、その想定外の事態が起きてしまった。

 当時、ニクソン政権の中国政策に追随し反中路線を堅持していた佐藤栄作政権にとっても、寝耳に水であったはずだ。周章狼狽振りは尋常ではなかったと想像できる。もちろん佐藤首相も個人的に水面下で中国政府との接触を試みていはいた。だが、やはり時すでに遅し、であった。

 厳寒のあさま山荘を舞台に機動隊と連合赤軍残党とが長期攻防戦を繰り広げ、TV実況中継に日本中が釘付けになっていたと同時並行して、日本人の思いもよらない事態――新しい国際秩序を目指した試みが進められていた。

 ニクソン米大統領と毛沢東が握手を交わす一方で、米中両政府首脳陣の間の機密会談は前後9回に及んでいた。2人の握手をキッカケにして、それまで互いを仇敵視し、相手を蛇蝎の如く罵り、厳しい対立を繰り返してきた米中両国の関係は雪解けから対話へと大きく舵を切ることになる。

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