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世界の記述

2022年7月18日

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井上雄介 (いのうえ・ゆうすけ)

ジャーナリスト

早稲田大学法学部卒業。1989年、天津南開大学に留学。通信社記者を務めた後、経済メディア編集者としてシンガポール、上海、台北、広州で勤務。衆議院議員政策秘書などを経て現在に至る。

 安倍晋三元首相が7月8日、参議院議員選挙の選挙演説中、銃撃され死去する事件が起きた後、台湾の蔡英文政権の動きは早かった。

 台湾メディアの風伝媒によると、蔡政権は8日の事件発生直後に国家安全会議を開き、「元首相に対し、台湾人民の最高の敬意を示す」との基本方針を確認。わずか3日後の10日、台湾代表として、頼清徳副総統を葬儀に出席させることを決め、翌11日にはもう派遣した。

頼清徳副総統(右)が安倍元首相の私邸に駆け付け、葬儀にも参加した(ロイター/アフロ)

 スピーディーだが、拙速ではない。8日に基本方針を確認後、代表派遣に伴って起こり得る数通りの事態を、情報機関がシミュレーションした。政府が外交ルートで日本側へ連絡する一方、頼副総統は、かねて親交がある安倍家と接触して、葬儀出席の可能性を探った。頼氏は、事件翌日の9日に早くも、12日に葬儀が行われることを告げられ、出席を許されたという。

 蔡政権は、日本側の立場に配慮し、国際社会の摩擦を避けるため、頼副総統を私人の身分で派遣することを決めた。台湾側が先導し、日本側が同意する形で迅速に進んだ。蔡政権の事務方の有能さに加えて、頼氏と安倍家の長年の関係、台湾の「駐日大使」(台北中日経済文化代表処)謝長廷・元行政院長(首相)の尽力が物を言った。

頼副総統と安倍元首相との特別な関係

 頼副総統は11日に到着後、まっすぐに東京・渋谷の安倍氏の私邸に向かった。同日、東京・増上寺で行われた通夜では、「親友」として並ばずに焼香した。12日午後、斎場に向かう前に営まれた、ごく私的な「家族葬」にも「身内」として臨んだ。台湾の各メディアは、焼香の列に並んだ中国大使との対比を、やや誇らしげに伝えた。

 安倍氏の事件が与えた衝撃は、一般国民にも大きかった。安倍氏は、親台派の日本の大物政治家として誰もが知る。筆者に「安倍さんの笑顔が浮かんで、眠れなかった」と訴える知人もいた。一方で、頼副総統に対する安倍家の特別待遇は、双方の深いきずな感じさせ、台湾の人々に別の驚きを与えた。

 頼副総統と日本の関係は長い。頼氏は1999年の立法委員(議員)時代から日本との交流が始まった。2010年末以降の台南市長時代に、日本との友好に力を入れ、11年の東日本大震災直後、日本の観光業再建に協力しようと代表団を率いて訪日した。

 安倍首相も、16年の台南大地震では現地に深い関心を寄せ、頼氏との関係が深まった。頼氏の安倍氏との交流は家族ぐるみで、訪日のたび、安倍氏の弟の岸信夫防衛相とも会っているそうだ。安倍元首相の母親の洋子氏とも懇意だという。

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