2024年12月12日(木)

21世紀の安全保障論

2022年9月1日

 日本では、国、地方自治体、企業・団体、コミュニティ、個人といったさまざまなレベルで、災害による被害の記憶を風化させないよう努めつつ、災害を防災に結びつけ、将来の災害に備えるという考え方が定着している。このことは、ほとんどの日本人が学校教育の中で防災について学び、避難訓練などに参加する経験に恵まれていることが大きく作用している。

 古くからさまざまな災害に見舞われてきた日本人は、災害に対する慣れや達観によって危機管理意識が希薄になっている一面はあるものの、防災への取り組みに関しては基本的にポジティブであり、それをタブー視する傾向はみられない。

戦没者追悼の際には行われない対処訓練

 8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日、および8月15日の終戦記念日における日本人の対応に共通するのは、戦没者への追悼の念であり、戦争を起こしてはならないという反省である。広島原爆の日と長崎原爆の日では、核廃絶に向けた誓いも語られる。太平洋戦争での犠牲者は軍民合わせて310万人、その内、原爆での犠牲者は20万人以上であり、この膨大な数の犠牲者を追悼するのは自然な行為である。

 しかし、防災の日や防災週間とは違い、広島原爆の日や長崎原爆の日では、将来、再び核兵器が投下された場合に如何に犠牲者を少なくするかという議論は、全くと言っていいほどない。そして、この日に核攻撃への対処訓練が行われることはなく、首相や閣僚が参加する訓練もない。

 また、広島市にも長崎市にも核シェルターが整備されている訳ではない。もし、大規模な水害や津波で多くの犠牲者を出した自治体の首長が、堤防や防潮堤や避難所の整備を全く行なわず追悼のみに終始していれば、尊い犠牲を無駄にしていると非難され、次の選挙では落選するだろう。

 もちろん、世界から核兵器が廃絶され、二度と核攻撃が行われないという保証があれば、備えをしないことにも頷ける。しかし、誰がそのような保証をできるだろう。

 核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は最終文書を採択できずに閉幕し、核軍縮の見通しは暗い。日本周辺には中国、ロシア、北朝鮮という核保有国が存在する。それらの国々は専制的・攻撃的で日本と基本的な価値を共有せず、日本への核攻撃に踏み切る可能性は否定できない。

 つまり、核攻撃という災いが再び降りかかる可能性があるのに、広島市も長崎市も対策を講じていないのだ。甚大な被害を受けた被爆地として不思議な対応である。東日本大震災の巨大津波で甚大な被害を受けた自治体は、同様の巨大津波が再度襲来する時期が不明であっても、大規模な防波堤の建設や住宅の高台移転などの対策を進めている。


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