「どの国でも科学技術の進歩こそが、安全保障の一丁目一番地だ。国家と国民の安全は、それによって守られているということを、多くの日本人は認識できずにいる」
元国家安全保障局次長の兼原信克氏はこう喝破する。
昨今、日本の科学技術の凋落ぶりが先進国の中でも際立っている。メディアは研究費減などを主な事例として挙げるが、原因はそれだけではない。ここにも日本人の〝歪んだ〟安全保障観が大きく影響していると言っても過言ではないからだ。
「基礎研究は、国家の安全保障に直結するものだ。多くの日本人は、安全保障といえばすぐに『軍事』を想定するが、米国をはじめ、諸外国では『いかに国を守るか』ということこそが安全保障の核心だ」
ある国立大学教授はこう断言する。
戦後日本は、米国にすべてを委ねて安住し、空想的平和主義の中で繁栄を享受してきた。その結果、国を守ることにも直結する基礎研究が育ちにくくなってしまった。
「安全保障という言葉から、多くの日本人は『対国家』を想像するが、敵は『国家』だけではない。予期しない地震・津波といった自然災害もあれば、隕石や感染症など、あらゆる敵が存在している。特に米国では、安全を脅かす敵はいつ、どんな形で現れるのか分からないからこそ、基礎研究を重視している。つまり、国を守るためには人類の知識レベルを常に上げなければならないという発想だ」(同)
それを象徴する出来事といえば、新型コロナウイルスの感染拡大に対し、日本はワクチンを海外に依存せざるを得なかったことだ。国家と国民の安全を脅かす〝敵〟に対し、日本の脆弱性が露呈した形だ。
安全保障の土台が揺らぐ中、大学の研究資金は減少し続けている。2004年、行政改革の機運の中で国立大学の法人化が行われ、研究者が自由に使える基盤的な補助金である「運営費交付金」は、前年比で1%ずつ削減されることとなった。15年以降は横ばいだが、04年と21年を比較した際の減少額は1600億円を超える。
その代わりに強化されたのが、科学研究費助成事業(科研費)を代表とする「競争的資金」である。しかし科研費には使途に対する縛りも多く、任期なしの教員や研究員を雇うことはできない。多くの大学では、運営費交付金減少により新規の教員雇用が不可能になり、若手研究者の不遇にもつながっている。また、事務職員も削減され、事務作業を研究者自身が行うことになり、研究や教育に割く時間が削られているのが実態だ。
日本の競争力低下は、下図のように、量・質ともに、論文数の減少という形でも明確に表れている。
主要国の中で日本のみが
論文数で伸び悩み、質も低下している