あの挫折の先に

2013年5月27日

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夏目幸明 (なつめ・ゆきあき)

ジャーナリスト

1972年、愛知県生まれ。愛知県立豊橋工業高校から早稲田大学へ進学、卒業後、広告代理店に入社し、その後、雑誌記者へ。小学館『DIME』に『ヒット商品開発秘話 UN・DON・COM.』を、講談社『週刊現代』には、マネジメントの現場を描く『社長の風景』を連載。ほか、明治学院大学講師をつとめ就活生の支援を行う。『資格の学校TAC』では、就活生と一緒にエントリーシートを書き、面接練習を行う講座を持つ。
執筆記事:「社長の風景」(現代ビジネス)、「火力発電所奮闘記」(『VOICE』)、「ビジネスの筋トレ」(『フレッシャーズ』)、「就職活動セミナー」(『資格の学校TAC』)

起業再生とは、過去の利益構造を捨て、
新たな顧客ニーズをつかむこと

 彼が信託銀行を退職し、父が創業した宮崎県の葬儀社へと転職したのは2000年、31歳のときだった。このとき、会社は危機的な状況にあった。

 「以前は、全国の葬儀社のかたが勉強にみえるほどの優良企業だったのですが、宮崎にも資本力のあるライバルが進出してきて競争にさらされ、売り上げが目に見えて落ちていったのです」

 2年で約4割売り上げが落ちた。彼の父は銀行からお金を借りて事業を拡大したため、借金の返済も経営を圧迫した。ライバル進出の1年目で、利益はほぼ0。借入金の返済が滞り、「要注意先」へと転落した。銀行から見て、新たな融資には注意を要する取引先、という意味だ。2年目にはあるだけの資産を売却し、社員をリストラ、父の給与も3分の1、4分の1へと減らし、ようやく命脈を保った。

 そんな時期、希望の光となっていたのが、髙見が着手していた新事業だった。従来、葬儀の料金には不透明感があり、遺族が不満に思うことも多かった。そこで彼は、価格を従来の半分~3分の1にし、事前にサービスも明確化しておく、という新しいビジネスモデルの構築に着手していたのだ。

 実はこの事業、当初は誘われた話に乗ったものだった。

熊本県にある『ファミーユ』の葬祭ホール。現在、全国270を超える葬祭ホールで、年間5300件の施行実績を持つ。料金は42万円、63万円、84万円~など明朗なプランを用意。

 「全国の葬儀社の若い経営者が集まり、今後、葬儀業界がどのように変わっていくべきかを考え、新事業のコンセプトを考え出したのです。ただし、コンセプトだけでうまくいくはずがないので実務の中心人物を探しており、私に声がかかったのです。このプロジェクトを聞いたときは、正直、時間もお金もなかったのですが、即座に『やる』という判断を下しました」

 事実、タイミングとしては最悪だった。新事業の基盤は東京にあったため、古くからの社員にすれば『常務はひと月の半分以上は東京にいて、何をしているかわからない』という状態になった。

 「しかし、1年目がただうまくいかず、打つ手なしの状態だったことに比べ、新たなチャレンジをしていた2年目は、苦しさの質が違いました。なけなしのお金をつぎ込み、オープンさせた新しいコンセプトの葬儀場が、小額とはいえ確実に黒字を生み出していたのです。自分にしかわからない手ごたえで、周囲にも有望と認めてもらえるまでにはさらに3年ほどかかりましたが『これを続けていけば事業を拡大できる』という道筋が見えたため、自信を持って進んでいくことができた。1年目は精神的につらく、2年目以降は忙しく体力的に厳しかったですね(笑)」

 やはり、大きな挫折は、大きなチャンスへとつながっていた。

 「このとき、消費者のニーズがわかったことが大きかった。暗かった視界が晴れるような気がしましたね」

 世間はそれまでの葬儀に対し、釈然としない気持ちを抱えていた。過剰なサービスは必要なく、決まった価格で、儀式を執り行いたかったのだ。

 どの業界にも“このままでは先細り”と見えている状況がある。このとき、いかに迅速に今までの利益構造を捨て、リスクをとって、新たな道に踏み出すか。ここに、勝負がかかる。

 「あえてお金のことは考えませんでした。資金がない、などという理由で下す判断など、ロクな結果をもたらさないはずだからです」

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