2024年7月16日(火)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2022年10月9日

 一方で、リカレントとは、企業を一旦離職して大学院に入り直したり、全く異なった職種のスキルを勉強するといった個人の行動である。米国で多いのは、新卒で投資銀行に入社して激務を経験した後、一旦現場を離れてMBA(経営学修士)を取るとか、CPA(公認会計士)資格を取得して転職するといった事例である。

 こんな原則的な問題が分かっていないというのは、岸田首相も困ったものだ。「個人のリスキリングに対する公的支援」などという発言は、それ自体が混乱そのものと言える。けれども、実際問題として日本におけるビジネス界でも、似たような概念の混乱が見られるのは事実であり、首相個人を責めても仕方がない。

 というよりも、このように概念が混乱している背景としては、日本における産業構造と雇用制度の改革の難しさがある。企業側と従業員側の双方の視点から、考えてみたい。

将来に向けて企業と個人がどう対応するか

 まずは企業の態度である。業態にしても、人事政策にしても現状の延長上には存続が見通せないとして、そこで取るべき態度は2つある。一つは人材を入れ替えるという態度であり、もう一つは現有の人的資産を活用するという態度である。

 2030年代へ向けて国際的競争が加速化し、新技術の開発と実用化も加速するのは不可避である。そこで、現有の経営陣では判断スキルのレベルという点で対応不能であるのならば経営陣の総入れ替えが必要になる。過去の実績評価を中心に昇進させただけの管理職では管理しきれないということなら、管理職も総入れ替えになる。また基礎能力と日本語の対話力だけで採用し、数箇所の現場を回しただけの中堅では対応が難しいのであれば、ここも総入れ替えということになるだろう。

 そうではなくて、より過酷さを増すであろうグローバルなサバイバルゲームの中でも、現有の人材でも教育訓練によって活かせる部分があるのなら、そこは残すという判断になる。入れ替えるのか、活かすのかは二者択一ではないが、相当にドラスティックな見直しを迫る問題と言える。どの部分を残すのか、そこが明確でなければリスキングはできない。

 一方で、個人の方も態度の決定を迫られている。自分は現在のスキルに加えて、今後の現場経験からの学びを重ねていったとして、例えば3年後の25年に、あるいは8年後の30年に、今と同じ企業で確固たる地位を築くことができるか、一度真剣に考えてみることが必要だろう。

 答えはノーである場合に、どうするのか? この企業から飛び出して、学び直し(リカレント)をして国際化しつつある労働市場で自分を試すのか? それとも、企業の中で現場経験にプラスして、自分のスキルアップを加速するリスキングの機会を与えられるように要求していくのか、個々人も態度を決めなくてはならない。


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