「ギリギリのストーリー」に1兆円は必要なのか
そんな中で、もしかしたら企業の中には、過酷な環境の中で、十分にリスキングに投資できない場合があるかもしれない。そこで、社員は「自分のカネでリスキングをする」こととなり、その上で競争力を確保した要員だけが生き残り、その他は切り捨てられる。そんな企業も出てきそうである。
個人がカネを出して学び直しをするのなら、それは「リカレント」であるべきだ。個人が投資に見合う競争力を獲得して、労働市場でステップアップする。そのような流動化が起きれば、日本の生産性と競争力にはプラスとなる。
だが、カネのない企業はリスキングを用意できず、転職するリスクの取れない社員は、仕方無しに社内で生き残るために自分でリスキングの費用を負担する、そんなケースはありそうだ。概念としておかしいのだが、こうしたケースであれば、岸田首相のいう「個人のカネでリスキング」ということも成り立ちうる。
仮にそうであれば、概念の混乱について、岸田首相個人の責任に帰することはできない。だが、もしもこのような「ギリギリのストーリー」、つまり「リスキングの投資ができない企業」に「転職リスクの取れない社員」がしがみつき、個人が自腹でリスキングして何とか個人も企業も生き残るというストーリーには、果たして未来はあるのだろうか?
個々のケースとしては、そこから個人も企業も這い上がる可能性はあるかもしれない。だが、多くの場合としては、より過酷さを増す国際競争の中で生き残るのは難しいのではないだろうか。
そう考えると、そのような「ギリギリ」のストーリーに1兆円という公的資金を投ずることが、果たして日本の生産性と競争力復活にプラスになるのか、筆者にはどうしても疑問が残る。同じカネを投じるのであれば、積極的にリスキングに投資する企業、リスクを取ってリカレントに賭ける個人を応援する方が、はるかに大きなリターンが取れるのではないだろうか。
日本型雇用の終焉──。「終身雇用」や「年功序列」が少子高齢化で揺らぎ、働き方改革やコロナ禍でのテレワーク浸透が雇用環境の変化に拍車をかける。わが国の雇用形態はどこに向かうべきか。答えは「人」を生かす人事制度の先にある。安易に〝欧米式〟に飛びつくことなく、われわれ自身の手で日本の新たな人材戦略を描こう。
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