浮き上がる壮絶な子育ての記憶
大学教授のレイダはどうも独り身らしい。家族は英国出身だが、米国東部と英国を行き来してきたことがセリフからうかがえる。少なくとも回想シーンで彼女は米国東部に暮らしている。
そんなレイダには地位もあり、文学者として創造的な仕事を十分こなし、ひとりのバカンスを楽しむ経済的な余裕もある。バカンス先でダンスを楽しみ大笑いすることもあるが、彼女の顔からはストレスがもたらす緊張、いらつきが常に抜けない。人生の半ばを過ぎたレイダはおそらく、過去に何かを欠いてきたのだ。
映画の半ば、過去の回想シーンで壮絶な子育ての場面が出てくる。まだ学生の雰囲気が抜けない夫は「コロンビア大」というセリフから、研究職の身であることがわかる。多忙を理由に子育てを、レイダに任せきりにしている。レイダは20代の若さで2人の娘を生み、文学研究を半ば諦めつつある。
2人でも3人でも育てやすい子ならなんとかなるのが子育てだが、1人でも難しい子がいると親は途轍もない労苦を強いられる。レイダの長女がそうで、母にまとわりつき、疲れ切ったレイダが「15分だけ寝かせて」と言っても容赦なく頭を叩いたり、与えたばかりの人形にいたずら書きをして報いる。
若い夫婦が子を連れて夫の上司の教授の別荘で過ごしていると、中年カップルのバックパッカーが窓の外からこちらを見ている。
夫は「ハイカーか」とすぐに彼らを招き入れようとするが、レイダは拒絶する。そのとき、彼女はこう言う。「今は1985年じゃないんだから」。日本語の字幕では「昔と違うのよ」とあるが、このセリフに筆者は着目した。
1985年は何を意味するのか。ここで「ロスト・ドーター」の時代設定を探ってみる。
冷戦末期、民族対立、現代を行き来
バカンス中の中年女性レイダは会話の中で48歳だと繰り返し語る。そして、娘2人は25歳と23歳だとも強調される。
バカンスの時代設定が映画制作と同じ2020年と考えた場合、レイダが生まれたのは1972年で、長女は95年、次女は97年生まれとなる。上の娘は7、8歳に見えるので、回想シーンはおそらく2002年ごろで、レイダが30歳を回ったころと思われる。
つまり1985年はレイダが子を産む10年も前、13歳ごろを指しているわけだ。もちろん、この時点では結婚もしていないし、出会ってもいないだろうから、85年は2人に絡んだ話をしているわけではない。むしろ、一般的な意味での時代を言っているのだ。
妄想かもしれないが、筆者はこの「1985年」になんらかの意味があるように思える。
85年とはどんな年だったか。ベルリンの壁が崩れる4年前、ソ連でゴルバチョフがトップに立ち、うっすらと「冷戦の終焉」という希望が見え始めた時期だ。
南アフリカでもアパルトヘイト(人種隔離)に関する法律が緩み始め、黒人解放運動の英雄、ネルソン・マンデラの釈放という望みがうっすら感じられだしたころでもある。つまり、冷戦末期の凪が世界を覆っていた時代とも言える。
回想シーンの2002年、30歳のレダが振り返った1985年は、舞台の米国に、まだ冷戦終焉前の牧歌的ムードがあった。当然ながら当時の日本も、一人当たりの国内総生産(GDP)は今の3分の1ほどだったが、バルブ前夜のほんわかとした雰囲気に包まれていた。