欧州に広まった
組織的な暗号解読
インテリジェンスの歴史において、ベネチアが残した最も大きな足跡は、1506年にジョヴァンニ・ソロを中心とする暗号解読組織を設置したことであろう。
暗号解読については、もともとイスラム諸国の方が先を行っていたようであるが、1467年に博学者のレオン・アルベルティが『暗号解読論』という書籍を出版し、頻度解析(アルファベットで使う文字の頻度に偏りがあることを手掛かりに、暗号を解読する手法)がヨーロッパに紹介されることで、暗号解読の世界が開けたのである。
当時のヨーロッパにおいては、文書や手紙が配送途中で誰に読まれているかわからない状況であったため、機微な内容は暗号化して送ることが普通であった。
ある婦人が夫に送った手紙の中で、「朝、庭で摘み取ったばかりのスミレ3輪を同封しました」と書いておきながら、肝心のスミレを入れ忘れた。だが、手紙を受け取った夫が開封すると3輪のスミレが入っていたという逸話が残っている。これは途中で手紙を検閲した人物が、中のスミレを紛失したものと勘違いして、慌てて封入したということである。
当時、ソロの評判はヨーロッパ中に響いており、ベネチア以外の国であっても、ソロに暗号文を送って解読してもらうほどであった。ソロは死去する1544年まで、ひたすらベネチアの総督府で諸外国の暗号を解読し続け、その情報は当時のイタリア戦争で活用され、ベネチアの窮地を救った。なお、いまだに当時のソロの執務室は確定されておらず、ベネチアの秘密保全のレベルの高さが窺える。
その後、ベネチアが始めた組織的な暗号解読は、ヨーロッパ各国にも広まっていく。特にフランスではフィリベール・バブーや数学者としても高名なフランソワ・ビエトら有能な暗号解読官が活躍していた。
ビエトはスペインの暗号を解読することに関してはヨーロッパ随一であり、本人にもこだわりがあったようである。スペイン王フェリペ2世は、ビエトの暗号解読の能力は悪魔と契約したためだとバチカンの大審院に訴えるほどであったが、全く相手にされなかった。だが、ビエトは秘密保全については脇が甘く、最も警戒すべきベネチアの大使に暗号解読の内実について自慢げに語り、彼がベネチアの暗号の一部すらも解読していることを仄めかした。
大使は早速、十人委員会に対して報告を行っているが、その後、ビエトは二度と大使の前には現れなかったという。恐らくはフランス側の防諜が機能していたものと思われる。他方、スペインのフェリペ2世は暗号解読や秘密保全に対して全く関心がなかったようで、その後、アルマダの海戦においてイングランドに足をすくわれる遠因となった。
バブル崩壊以降、日本の物価と賃金は低迷し続けている。 この間、企業は〝安値競争〟を繰り広げ、「良いものを安く売る」努力に傾倒した。 しかし、安易な価格競争は誰も幸せにしない。価値あるものには適正な値決めが必要だ。 お茶の間にも浸透した〝安いニッポン〟──。脱却のヒントを〝価値を生み出す現場〟から探ろう。