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INTELLIGENCE MIND

2022年10月30日

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小谷 賢 (こたに・けん)

日本大学危機管理学部教授

1973年生まれ。ロンドン大学キングス・カレッジ大学院修士課程修了、京都大学大学院博士課程修了。防衛省防衛研究所主任研究官、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)客員研究員、防衛大学校講師等を経て現職。主な著書に『インテリジェンスの世界史』(岩波現代全書)、訳書に『特務 スペシャル・デューティー』(日本経済新聞出版社)など。

 中世・ルネサンス期には、活版印刷の発明によって、情報革命ともいうべき現象が生じた。この時代には世の中のあらゆる知識や事象が文字に記され、ヨーロッパ中に広まったのである。

 このような情報革命の時代にあって、ヨーロッパ各国は国として情報をコントロールしようと苦心していた。その代表はイタリアのベネチア共和国であり、その秘密主義や先進的なインテリジェンスの運用もあって、1000年以上もの命脈を保つことができた。

 ベネチアは軽武装の商業国家であったため、軍事的には東のオスマン帝国やヨーロッパ諸国からの脅威に常に晒されており、このような国家が生き残るためには、対外情報収集と秘密保全、暗号解読という能力に頼るところが大きかったのである。

徹底された
国内の秘密保全

 ベネチアでのクーデター未遂事件を契機に、1310年に結成された十人委員会は、同国の行政を担当する統治機構であり、その任務の一つに共和国内の反乱を取り締まることがあった。この委員会は治安維持の実行部隊として、配下に3人の調査官による情報機関を設けており、1人は赤い外套を着用することからイル・ロッソ(赤い男)、あとの2人は黒い外套からイ・ネグリ(黒い男)と呼ばれ、国内外での秘密活動に従事していた。

 十人委員会が最も重視したのは国内の秘密保全であり、「決して秘密を漏らさない」という合言葉の下、委員会の記録を書面で残すことすら禁じていたほどである。

 またこの頃、イタリア諸国では在外公館制度が導入され、それぞれの国が大使を派遣して外交活動と情報活動を行うようになった。当時の大使は公式のスパイとして情報収集を認められていたため、後に「大使は尊敬すべきスパイである」との言葉までつくられている。そのため、どの国においても外国の大使は警戒されており、ベネチアでは特にその傾向が強かった。

 1481年に十人委員会はベネチアの政治家や政府機関の人間が外国人と接触することを禁止し、外国人からの働きかけがあった場合は直ちに報告するように義務付けた。これに反すれば2年間の追放処分と罰金刑が科されたという。

 さらに十人委員会は共和国秘密保全組織を編成し、国内での監視体制を強化することになる。この組織は市民による密告を奨励するため、街のいたるところに「ボッケ・デ・レオーネ(ライオンの口)」と呼ばれる投書箱を設置した(下写真)。市民は犯罪行為やスパイ行為を見つけた場合、匿名で不正を告発することができ、これは当時の「秘密国家」ベネチアならではのものである。

現在も市街に残る「ボッケ・デ・レオーネ(ライオンの口)」は、ベネチアが「秘密国家」であった象徴といえる (ANDIA/GETTYIMAGES)

 他方、外国に派遣されるベネチアの大使は、優秀なスパイとして機能することになる。彼らは外交活動を行いながら、赴任国でスパイ網を築き上げていた。トリノでベネチア大使が雇うスパイが逮捕された際、同僚のスペイン大使は、「いつものことなので特に驚くに当たらない」といったコメントを残している。

 また16世紀のベネチアの外交官、セバスティアノ・ジュスティニアニとその後任のカルロ・カペッロは大使としてイングランドに派遣され、イングランド王ヘンリー8世の信頼を勝ち取ることに成功した。こうしてイングランド王室の内情が、ベネチアに逐一報告されることになる。

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