2024年4月27日(土)

Wedge REPORT

2013年6月13日

 一方、オバマ政権はイランと核協定締結を目指す努力を続けた。「P5プラス1」(米、英、中、仏、露、独)とイランが09年10月にジュネーブで行った交渉では、イランは当初、医療用アイソトープを生産するための燃料棒と引き換えに、低濃縮ウランの備蓄の80%を手放すことに同意したように見えた。

 ところが、アハマディネジャド大統領の政敵らが協定に反対し、イランは合意成立を否定した。数週間後にロシアが核合意の復活を目指したが、その努力も無駄に終わった。

 10年5月、国連安全保障理事会による制裁決議の可能性が高まると、イラン政府はトルコとブラジルが仲介した合意に沿って、核協定を復活させようとした。しかし、イランが低濃縮ウランの備蓄を倍増させ、兵器級に近いレベルまで濃縮を進め始めたことから、P5プラス1は安保理決議と制裁を進めた。

対話から
経済制裁へ

 イランを対話に引き込む努力が1年経っても具体的な成果を生めなかった時、オバマ政権は苛立つ米議会に押される形で、イランに対して経済制裁を徐々に高めていく戦略に切り替えた。

 ブッシュ前大統領の時代には、ロシア、中国などのほか、一部の欧州諸国がイランに対する厳しい制裁を阻止したが、これらの国も次第に、関与を嫌う米国の姿勢ではなく、妥協を拒むイランの方が危険だと理解するようになった。大規模な制裁体制を築こうとするオバマ政権の努力が国際的な支持を集めていった。

 イランを非難する6度の安保理決議に加え、一連の制裁の中で最も厳しかったのは、米国と欧州連合(EU)が講じた措置だ。11年12月、米国はイラン中央銀行に対する制裁措置を決め、12年1月には、EUが加盟国にイラン産原油の輸入を禁じた。さらに、国際金融取引を促進する国際銀行間通信協会(SWIFT)がイランの金融機関との関係を断つと発表した。

 国際的な圧力は、国内での失政と相まって、イランの経済状況を著しく悪化させた。イランの産油量は日量420万から270万に減少。原油輸出も急減し、日量250万から90万まで落ち込んだ。イランの公式統計ではインフレ率が29%に達したが、非公式な試算では、その2倍に上っている。失業と不完全雇用は依然深刻だ。また、イランの通貨リアルは対ドルで8割近く下落し、12年10月には大衆の抗議行動を引き起こした。

 前代未聞の経済制裁にもかかわらず、ハメネイ師に「圧力に屈することは弱さの表れであり、さらなる圧力を招く」「懇願したり、身を引いたり、柔軟性を見せたりすると、傲慢な大国は一段と重大な脅しをかけてくる」という往年の哲学を見直す兆しは見られない。さらに、近年ハメネイ師が引き出した教訓は、リビアの独裁者カダフィ大佐が02年に核開発計画を放棄したことで12年の介入に無防備になり、後に政権転覆につながった。一方で、パキスタンの核兵器取得は外国の圧力を関与に変えた、ということだ。


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