独裁者ルカシェンコが支配するベラルーシとはどんな国なのか?
多くの日本人にとりベラルーシは縁遠い存在であろう。ミンスク出身の英語教師のオリガにどんな国なのか聞いた。プーチンの盟友である独裁者ルカシェンコは1994年以来連続当選、既に28年も政権を握っている。
ベラルーシの人口は2021年の時点で900万人超であったが、20年に大統領選挙を巡るルカシェンコ政権による不正選挙問題を契機に大規模な反ルカシェンコ運動が発生。政権側が暴力で取り締り大量の逮捕者がでた。当局の弾圧や逮捕から逃れるために人々が国外に脱出したため、21年には国内人口は700万人となった。半分くらいが戻ったので、22年現在では800万人ほどらしい。
カフェで出会ったベラルーシのITエンジニアを思い出した。彼もルカシェンコ支配を嫌って20年に出国したと語っていた。オリガ自身も、20年に出国してスリランカで半年過ごしたという。今回バリ島に来たがいつ帰国するか分からないという。オリガも亡命者なのだ。
20年の大衆運動は極めて穏健なもので平和的行進であったという。人々はシンボルカラーとして赤白のアクセサリー、ブレスレッド、マフラーなどを身に着けた。ベラルーシが1918年に独立した時の国旗が白赤白であった。後にソビエト政権樹立によりベラルーシは、ソビエト連邦に組み込まれ赤緑の国旗に変更させられた。ソ連邦崩壊後に独立したベラルーシは白赤白の国旗を復活。しかし親ロシアのルカシェンコが権力を握ると1995年に赤緑の国旗に変更。2022年の反政府運動では反ルカシェンコの意思表示として赤白がシンボルカラーになったという。
本来ベラルーシは豊な農業国で歴史的にポーランドと深い‟ゆかり„がある
ベラルーシは伝統的に農業国家であり、ソ連邦時代に作られた世界最大のトラクター工場がかつてはフル稼働していた。歴史的にポーランドと親密な関係にありウクライナ戦争以前は、ベラルーシ人は単純労働者パスを取得して自由にポーランドで就業できて何年でも長期滞在できた。
そもそも18世紀末にロシアがポーランドを分割して完全に併合するまではポーランド、ベラルーシ、バルト三国は一つの国家であったという。現在のベラルーシは『ポーランド・リトアニア共和国』という国家の一部だったのだ。
1777年にベラルーシの東半分がロシア帝国に分割され西半分はポーランドに残ったので、現在でもベラルーシでは東は親ロシア、西は親ポーランドの傾向があるという。
ゼレンスキーはウクライナを米国に売ったのか
オリガによるとロシアとベラルーシではウクライナのゼレンスキー政権は国を米国に売ったと考える人が多い。ロシアとウクライナという兄弟喧嘩なのにウクライナは他人の親である米国に加勢を頼んだという解釈である。見返りにウクライナは米国の傘下に入るという見方だ。
二キはウクライナが問題を拡大していると主張。戦争を始めた責任はプーチンにあるが、戦争を拡大した責任はゼレンスキーにあると強調。それゆえロシアの大衆はゼレンスキーに反発しているという。
オリガが見るところ、ロシア人の半分は「プーチンは自分が選んだ大統領ではない(つまり棄権したりしてプーチンに投票していない)」としてプーチンのウクライナ戦争に自分は責任がないと考えている。そして残りの半分はプーチンに投票したが、プーチンの演説について間違いだと判断して批判するだけの知性と客観的情報へのアクセスがない人々なのだと喝破した。
ついぞ聞かれなかった亡命ロシア人の加害者意識とプーチン批判
バリ島に2カ月滞在して8カ所に宿泊して老若男女のロシア人100人以上から話を聞いたが、不思議なことに誰一人としてプーチンに対するあからさまな批判を口にすることはなかった。
総じて彼らが積極的に主張したのは亡命ロシア人が被害者であるという被害者意識だ。さらにプーチンを批判せずにゼレンスキー大統領を非難することが多い。米国が主導してウクライナとロシアの関係を悪化させて西側諸国が一緒になって米国の陰謀に加担したという陰謀論を大なり小なり過半の亡命ロシア人は信じているようだった。