また、筆者が専門家の立場から見てきた規制緩和・規制改革や、司法制度改革についても縦割り行政の弊害が垣間見える。
規制改革は、日本の産業がいわゆる護送船団方式で構築されてきたことに端を発する問題である。これは言い換えれば、破綻させない仕組みであり、各省庁は各産業分野における旗振り役として強大な権限を持っていた。
これに対し、1990年代の日米構造会議などにおいて、日本のこうした行政運用が強く問題視され、結果として、企業間で自由に競争させ、ときに破綻もやむを得ないという方向性に日本は舵を切ることになった。これまでの権限を失うことになるため各省庁からは強力な抵抗もあったが、小泉純一郎政権の誕生によって、政治の力でそれをある程度は乗り越えてきたと言えよう。
また、司法制度改革については20年ほど前、「法科大学院(ロースクール)」導入をめぐる議論に参加させていただいたことがある。学校としての法科大学院は文部科学省の管轄になるが、法曹になるための司法試験は法務省の管轄である。
法科大学院を卒業した人に法曹資格を与えたい文科省と、一定の試験をクリアした人材を法曹として認めたい法務省、という考え方の違いが残されたまま現在に至っている。法務省と文科省の共通のミッション、問題意識を再確認した上で、法曹人材の教育・養成機関としてより意義のある法科大学院を構築していくことが今後の展開として期待される。
自らのミッションは何なのか
いずれの問題も、冒頭に論じた予算編成の議論に大きく関係してくる。そして、予算は省庁毎に編成される制度である以上、各省庁が自らの権限の範囲内で考えざるを得ない側面も理解に難くない。
ここで大切なのは、それが省益ではなく、国益にかなっているか、という俯瞰的な判断基準をもって進められているかどうかである。交渉学的に説明すると、「バルコニー(桟敷席)から見ている」かどうか、ということになる。
ビジネスの交渉現場でも、たとえば、ある製品Aをいかに安く買うか、高く売るか、といった目先の議論だけにとらわれてしまい、業界全体を見渡して他社製品との関係ではどうか、あるいは相手会社と将来的にどのようなことがしたいのかといったミッションを忘れた議論に陥ってしまうことがまま起きる。しかし、これでは新たな可能性や創造性が生まれないことは目に見えている。
したがって、国の政策となれば、このような観点がより重要であることは明らかだろう。官庁横断的な政策こそ「大局的視点」を重視する必要がある。まずは、省庁にとらわれない議論を行い、国として目指すべき方向を見定めたうえで、各省庁がそれぞれの政策を進めることができれば、予算や権限の奪い合いという駆け引きに陥ることを防ぎ、各々の専門に集中するという縦割りの良さを生かした、一体感を持った政策が展開できるのではないだろうか。
ミッションを構築する際には、「利害関係者」を把握することも重要である。特に、国レベルの政策となれば、利害関係者は多岐にわたるだろう。
例えば、国の財政健全化に向けて公共工事を減らす、と言えば、多くの国民にとってはよい方向性だと感じられるだろう。しかし一方で、工事事業者の仕事が減り、そこで働く労働者の生活が難しくなる、という側面もあわせ持つ。また、官庁間の意見の相違について前述したが、その際の利害関係者として政治家が絡んでいることも多く、どのような考えに基づいて物事が進められているのか政治的視点からも注視する必要がある。