薬の効果を「柿の木と脚立」にたとえると
以上のように、ある治療の効果をどう評価するかは、実はなかなか難しい。まして、それを目の前のT.T.さんにどう伝えたらわかってもらえるだろうか。前回2022年12月の『血液をサラサラにする薬「アスピリン」の有益性と害』で登場した臨床研究のエビデンスを詳しく理解できる経済学者のT.S.さんとは異なる。
私は若干途方に暮れつつも、福島県会津名産の身不知(みしらず)柿を想像しながら、こんな風なたとえ話でT.T.さんに説明してみた。
「たとえば、柿の木に美味しそうな実がなっています。T.T.さん、柿は好きですか。一番下の柿の実が地面から3メートルのところにあるとしますね。T.T.さんの身長は何センチでしたっけ」
「えーと、152センチです」
「じゃあ、爪先立ちしても手を伸ばして届くのは、せいぜい高さ2メートルぐらいの所ですね。まだ柿の実をとることができない。あと1メートル足りない。ここまでわかってもらえましたか」
「はい、わかりますよ。でもお薬と何の関係があるんですか」
「お薬の効果を脚立にたとえたいのです。ある薬を飲むと、その効果で高さ50センチの脚立を使えるようになる、とします。薬を飲まないと30センチの脚立しか使えない。50センチと30センチとではっきり違いがありますが、それでも、50センチの脚立に乗っても柿の実には手が届かない。お薬の効果に差が出ることと、その差が日常生活に役に立つかどうかは別の話なんです」
「なるほど。先生の言いたいことが何となくわかります」
「それはよかった!」
この例では効果(脚立の高さ)の差(20センチ)は、薬を飲まない場合(30センチ)の67%にもなる。統計的有意差と臨床的有意差とが別のものであることをT.T.さんに感覚として理解してもらおうとしたのである。
切羽詰まって思いついた「柿の木と脚立」のたとえであるが、誤って脚立から落ちることもある。そのリスクと落ちた時のダメージを50センチの脚立の場合と30センチの脚立の場合とで比較してみたりすれば、治療の有効性と安全性のバランスについての理解を引き出すことにも役立つ。有効成分を含まないプラセボでも変化が起こることは「プラセボ効果」と呼ばれるが、これについてはまた別の機会にお話ししたい。