2024年4月25日(木)

勝負の分かれ目

2023年1月23日

 藤浪と言えば、どうしても「制球難」のイメージがまとわりついてしまっているのも事実だ。名門・大阪桐蔭高校ではエースとしてチームを春夏甲子園制覇の偉業達成へと導き、2012年のドラフト1位で阪神へ入団。新人1年目から3年連続で2けた勝利を達成するなど順調なステップを踏むかと思われたが、4年目の16年シーズンから制球難に苦しみ始め、その後は特に右打者に対するインコースへの制球が大きくバラついて与四死球を乱発するケースが多くなるなどスランプにハマり込んだ。「イップス」ともささやかれ、一時期は「不要論」や「選手生命の危機」まで飛び交っていたのも未だ記憶に新しいところだ。

 ただ、そんな暗中模索の状況でも近年は節々で存在感を見せ、本来の姿を取り戻しつつあった。一、二軍を行き来しながら1年を通じて先発ローテーションを守り切ることはできない中でも22年シーズンの昨季は2年連続で開幕投手を任され、特に夏場以降は同年8月13日・対中日ドラゴンズ戦(京セラドーム)で7回4安打無四球1失点、同年8月20日の対巨人戦(東京ドーム)でも7回6安打無四球1失点と2試合連続の快投を見せるなど大きなインパクトを残していた。

見込まれていた移籍後の成長

 実を言えば「MLB挑戦を球団フロントに訴え、どうやらゴーサインが出されそうな見込みらしい」とのウワサは同年6月に先発再調整のため藤浪が二軍へ一時降格となった時点でメジャー関係者の間に広まっていた。昨年8月に先発登板した対中日、巨人戦の前出2試合は藤浪にとってMLB複数球団のスカウトがスタンドから大挙して熱視線を送る中での〝御前試合〟だったこともあり、マウンド上で相当に気合が入っていたのは間違いない。

 事実、アスレチックスのデビッド・フォーストGMも先日出演したポッドキャスト番組において阪神時代の藤浪の映像をくまなくチェックしていたと振り返った上で「あの8月の2試合は本当に圧倒的なピッチングだった」と絶賛し、獲得の決め手につながったことを打ち明けている。 

 アスレチックスと同じア・リーグに所属するMLB球団の関係者も同GMのコメントを補足するように藤浪争奪戦の舞台裏をこう解説している。

「アスレチックスだけでなくアリゾナ・ダイヤモンドバックスやボストン・レッドソックス、サンフランシスコ・ジャイアンツ、サンディエゴ・パドレスも獲得に動き、藤浪の代理人であるボラス氏を通じて交渉を続けていた。最終的に獲得に成功したアスレチックスを筆頭に藤浪がMLBからこれだけの評価を集めていたのは、米球界移籍後の成長度を見込まれているからに他ならない。

 彼のストロングポイントは何と言っても最速100マイル(162キロ)を超えるハイスピードボールを投げられる類まれな身体能力を持ち合わせていること。93マイル(150キロ)を超えるフォークボール、いわゆる『スプリット』も自在に操れるし、この〝落ちるボール〟をしっかりとウイニングショットとして長い手足、そして197センチの日本人離れした長身とともに自分のモノとしている点は特筆されるべき評価ポイントだ。

 制球難は完全克服したとは正直言い難いが、彼に関しては環境を変えることこそがかなりの確率で大きなプラスに働く可能性が高い。こうした藤浪に対するスカウティングリポートは多くのMLBスカウトや関係者がアナライズし、見立てている共通項の見解だ。日本の人気球団・阪神タイガースで藤浪がプレー以外でもさまざまな好奇の視線を注がれ続け、それが本来の力を発揮できない〝無用な足かせ〟につながっていたことはMLB関係者の間で広く知られている話でもある。

 藤浪が阪神に入団当初から『将来はMLBに移籍したい』との希望を持っていたことも多くのMLBスカウト陣は各々が所属する球団編成トップと情報を共有しており、そうした情報戦も加味しながら緻密に動いていたアスレチックスが最終的に『温暖な西海岸を本拠地に持つ球団』『一番熱心に誘ってくれた』などという理由で藤浪のハートをつかみ、獲得に漕ぎ着けた」


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