2024年11月22日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2023年1月31日

経営判断に必要な「教養」

 まず大切なのは、教養と言われている内容の多くは、決して「無駄な雑学」や「雑談の場を埋める小ネタ」ではないということだ。具体的にいえば、ビジネスにおける主要な周辺情報ということになる。

 例えば、土地勘というものがある。米国に進出して工場を建設するとして、仮に選定が進んで、現地事情を調査するチームが立ち上がったとしよう。そのチームの側では、その州の州法による労働規制、環境規制、税制などから、産業別組合の動向、治安の動向、対日感情などを調べることになる。

 そうした情報収集はその現地調査チームにとっては最優先のタスクであり、教養などという「のんきな」ことは言っていられない。州政府や州の商工会議所、弁護士事務所、日系人協会などを回ってひたすら多くの情報を集めることが必要だ。

 問題は、そのチームの調査結果について報告を受ける経営陣の方だ。例えば、ある州では、過去に深刻な人種差別があり、これに対する歴史的な抗議行動があったが、現在では世情は安定しているとする。そこで、現地のチームからは、法的な義務以上に、人種に配慮した雇用を行いたいという提案があったとしよう。

 極めてシリアスな経営判断になる。どう考えても「良きに計らえ」では済まない。かといって、自己流の判断も危険だ。本社としては筋の良いコンサルや、信頼できる元外交官などに「第三者の意見」を聞くなど万全を期することになるだろう。

 だが、仮に決定権を持つ役員レベルに「米国史の知識が全くなかったら」、いくら外部の意見を聞いても、何よりもその役員自身が安心して判断はできないであろう。この場合に、経営陣に求められるのは本業とは別の情報である。例えば自動車の電装部品メーカーの役員にとって、米国史というのは教養の部類に入るかもしれないが、この場合は重要性が高い。

 日本経済を見渡すと、世界に市場や生産拠点を拡大している業種は多岐に渡っている。だが、現場の努力とはまた別の問題として、本社の経営陣が深い「国際的教養」を身に着けているかどうかは、イザという時に大きな差になると思われる。

 例えば、1990年代までは、最終消費者向けエレクトロニクスの分野では、日本は向かうところ敵なしという状況だったが、今は見る影もない。この徹底的な大敗北の原因として、教養の問題があると考えられる。

 世界標準の製品を作れば後は「現地の販路」が勝手に売ってくれた「モノづくり」ビジネスとは違って、電波の許認可や契約、販路が世界各国のキャリアーと複雑に錯綜するスマホや、自動車とは比較にならない部品別の許認可をクリアしなくてはならない航空機など、先端ビジネスにおいては「より広範な周辺情報」を押さえなくては経営判断ができない。そのような領域で日本が失敗と撤退を繰り返してきた原因としては、長年「教養を軽視」してきた日本の経営層に正しい経営判断が到底できなかったという面が大きい。

 同様の問題は海外だけではない。日本国内にも地方によって全く別の社会習慣、食文化、気質などがある。そうした地域に根ざした情報というのは、そこに支社や営業所を設置している企業の場合はダイレクトに入ってくるだろう。だが、その情報を取捨選択して、判断するにはやはり日本史や日本文化に対する見識が必要だ。つまり、経営者に教養というベースとなる情報の集積がなければ、全ての判断を丸投げし、尚且つ、その判断に確信が持てないということになる。


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