2024年4月27日(土)

スポーツ名著から読む現代史

2023年2月22日

国際大会に背を向けていたMLB 

 第1回WBCが開催される以前の世界の野球事情を押さえておく必要がある。野球の発祥国・米国は、プロ組織であるMLBが国際大会の開催に全く関心を示してこなかった。代わりに、野球の国際的な普及に努めたのはアマチュアの統括組織だった。

『屈辱と歓喜と真実と』(石田雄太著、2007年ぴあ)

 アマチュアスポーツの祭典、五輪では1984年のロス五輪で野球が公開競技として採用され、社会人と大学生でチームを作った日本は決勝で米国を破って金メダルに輝いた。続く88年ソウル五輪でも日本は銀メダルを獲得。さらに92年バルセロナ五輪から野球が正式競技に採用され、日本は銅メダル、96年アトランタ大会でも銀メダルと、日本のアマチームは4大会連続でメダルを手にした。

 五輪競技となったことで、野球は世界中に広まったが、時期を同じくしてスポーツの「プロ・アマ」の壁が消滅し、各競技でプロ選手が五輪に参加するようになり、野球は複雑な対応に迫られる。

 MLBは「夏季五輪の開催時期がペナントレースと重なる」として当初から五輪への選手派遣を拒み、米国は大学生とマイナーリーグの選手で代表チームを編成した。MLBが五輪に非協力だったのは、もう一つ理由があった。ドーピングの問題だ。薬物への規制がないMLBでは多くの中心選手がステロイドなど国際オリンピック委員会(IOC)が禁じている薬物を投与していたことが明らかになっている。

 2003年に米国内の栄養補助食品会社バルコ社が陸上競技選手に違法な薬物を提供していた事件が表面化し、MLB選手にも汚染が広まっていることが明らかになった。これを受けてMLBでもようやくドーピング検査を導入するなど薬物追放の機運が高まり、結果として国際大会への選手派遣に道を開くことになった。

 一方で、テニスやバスケットボールなど多くの競技にプロ選手が五輪に参加するようになっており、IOC委員の間では「最高峰のMLBの選手が出場しない」野球に対する風当たりが強まった。IOCは05年7月8日にシンガポールで開いた総会で、野球とソフトボールを12年ロンドン五輪から除外することを決めた。

 五輪からの除外と時期が重なるように、MLB内部でWBC構想が表面化した。MLBは05年7月のオールスターゲーム前にデトロイトで記者会見を開き、米国、日本、キューバなど16チームが参加して第1回WBCを06年3月に開催すると発表した。

<確かに、噂は耳にしていた。本当ならばサッカーのワールドカップが行われる前年、つまり2005年に第1回を開催し、その後は4年おきに開催したかったらしいという思惑を、MLB機構が持っているという話も聞いていた。しかし、MLB選手会が、国際オリンピック委員会(IOC)の規定している薬物検査のガイドライン導入に反対していることから、結局、この時期まで開催が見送られているというような話だった。>(同書13頁)

王ジャパンの結成

 さまざまな疑問符が付いたWBC構想ではあったが、06年3月の開幕まで8カ月を切っていた。日本国内でも着々と準備が進んだ。日本プロ野球機構(NPB)と日本プロ野球選手会が同年9月、正式に参加を表明、10月10日には福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督(当時)が日本代表の監督に就任することが発表された。

<長嶋のあとは王。オリンピックとWBCの違いはあっても、日本代表の監督を選ぶとなれば、日本球界に他の選択肢はなかった。長嶋の志を受け継ぎ、舞台を五輪からWBCに変えて、日本代表の監督の座に着くべきは、王しかいない。>(19頁)


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