2024年4月17日(水)

スポーツ名著から読む現代史

2023年2月22日

 30人のメンバーの人選は容易ではなかった。王監督の頭にあった日本人大リーガーは、イチロー、松井秀喜、大塚晶則の3人だった。

 イチローは11月21日の夜、王監督に電話を入れ、出場を快諾した。大塚も問題なく承諾したが、松井は最終メンバー発表直前、「ヤンキースでワールドチャンピオンになるんだというアメリカ行きを決断した時の大きな夢が疎かになることを恐れる自分がいた」とのコメントを発表して日本代表入りを辞退した。

 3月3日に開幕した日本の第1ラウンド、最初の対戦相手は中国だった。2年後の北京五輪に向け、強化を図っていた中国だったが、日本は問題なく18―2の大差で破った。

 続く4日の台湾戦も14―3と危なげなく連続コールド勝ちで発進した。そして迎えた5日の韓国戦。ともに2連勝し、1週間後に米国で開催される2次リーグへの進出を決めていたので、勝敗以上にプライドをかけた一戦だったが、日本以上に力が入っていたのは韓国だったようだ。大会前のイチローのコメントが影響していた。

 「日本には向こう30年、手を出せないと思うくらいの勝ち方をしたい」。2月の福岡合宿中にイチローは記者会見でそう話していた。

 韓国を直接名指ししたわけではなく、アジアでの日本の立ち位置について語ったのだが、2000年のシドニー五輪で、プロ・アマ混成の日本代表を破っている韓国は、そうは受け取らなかった。

 この試合も八回、李承燁に逆転2ランが飛び出し、3-2で日本を下した。まるで優勝したようにグラウンドで喜びを爆発させる韓国選手をしり目に、日本選手は心にモヤモヤを抱えたまま米国へ旅立つことになった。

米国戦での誤審騒動 

 2次リーグの組分けは、日本、韓国、米国、メキシコ。それぞれ総当たりし、上位2チームが決勝トーナメントに進む。日本の初戦は12日の米国だった。この米国戦が後々まで語り継がれる〝誤審騒動〟を生む。

 一回表、イチローの先頭打者本塁打で幕を開け、二回には9番打者・川崎宗則の2点適時打で日本が3点をリードした。米国もその裏、チッパー・ジョーンズのソロ本塁打で反撃開始。六回には上原浩治を救援した2番手・清水直行からデレク・リーが同点本塁打を放って試合を振り出しに戻した。

 そして迎えた八回表。西岡剛の安打と松中信彦、福留孝介の死四球で1死満塁の勝ち越し機をつかんだ。

 続く6番打者・岩村明憲はレフトに浅いフライを打ち上げた。三塁走者の西岡はタッチアップから本塁に。レフトからの送球が三塁側に逸れ、西岡は楽々とホームイン、日本が勝ち越したはずだったが、そうはならなかった。

 三塁ベースの近くにいた二塁塁審が最初、両手を横に広げ、「セーフ」の判定を出したが、米国のマルチネス監督が「離塁の判定は球審の仕事ではないのか」と抗議。デイビッドソン球審は、西岡の離塁が早かったとして「アウト」を宣言し、西岡の生還が取り消された。

 著者は珍しく感情をむき出しにこう書いた。<勝つためには手段を選ばないというイメージで語られがちなアメリカの価値観が、あさましく映る。決勝まで中南米の国と当たらないようになっているアメリカ有利の組み合わせ、この試合が4人中、3人のアメリカ人の審判によって進められたこと、さらに屈強かつ頑ななアメリカ人の球審が下した数々の不可解な判定――野球発祥の地であるアメリカが決勝に進むべきなのだという歪んだプライドが、そこには透けて見えた。>(226頁)

 結果的にこの試合、米国が九回サヨナラ勝ちし、日本は黒星発進となった。休養日を1日挟んだ14日、日本は松坂大輔の好投でメキシコを下し、15日に再び宿敵・韓国と対戦した。


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