2024年4月21日(日)

スポーツ名著から読む現代史

2023年3月29日

入団当初の挫折を救った言葉

 こうして開いたプロの扉。だが、同期入団の新人が顔をそろえた合同自主トレ初日から栗山を待ち受けていたのは圧倒的な「力の差」だった。それまで体験したことのない挫折感に襲われた。

 自信を失い、キャッチボールすらまともにできなくなっていた。シーズンが始まり、2軍戦に出場する機会ができたが、攻守に精彩を欠き、チームメートから「クリが出たら勝てない」「クリが守っているときは投げたくない」という声が出るほど。

 そんな時、2軍の内藤博文監督(2013年死去)が連日、栗山の居残り練習に付き合ってくれた。上達の手ごたえがつかめない日が続いたが、ある日の練習後、内藤が声を掛けた。

『栗山魂』(栗山英樹著、河出書房新社)

 <「なあクリ、プロ野球っていうのは競争社会だよな。1軍に上がらないと認められないよな。でも、オレはそんなことはどうでもいいんだよ。お前が人間としてどれだけ大きくなれるかどうかのほうが、オレにはよっぽど大事なんだ。だから、周りがどう思おうと関係ない。明日の練習で今日よりほんのちょっとでもうまくなっていてくれたら、オレはそれで満足なんだよ。他の選手と自分を比べるな」。内藤監督のひとことひとことが、身体のなかにゆっくりと染みこんでいきました。>(『栗山魂』100頁)

 「他の選手と比べるな。昨日の自分と今日の自分を比べればいい」という内藤監督の言葉に力を得た栗山は、野球に打ち込めるようになり、着実に力をつけていった。2軍の最低レベルからスタートした栗山のプロ野球人生だったが、1年目の公式戦最終2試合に1軍の試合に呼ばれ、初出場、初打席(遊飛)も記録した。

 そして秋季キャンプでは、右投げの内野手だった栗山にとって二つの「二刀流」への挑戦が始まる。一つは外野守備の特訓であり、もう一つが左打ちの習得だった。

若松の指導で左打ちに挑戦

 左打ちは、チーム随一の大打者のひと言から始まった。若手の相談役でもあった若松勉が秋季キャンプ中、栗山にこう尋ねた。「クリ、お前、トシはいくつだ」。「23歳です」と答えると、若松は残念そうに「そうか、惜しいなあ。あと3年若かったらなあ」とつぶやいた。右打ちのバッティングフォームが固まっていると、左打ちの習得は難しい、というのが球界の常識とされていた。

 <23歳からのスイッチヒッター転向は、無謀なことなのかもしれない。逃げ出したくなるぐらいの練習が待っているだろうし、ひょっとしたらモノにならないかもしれない。でもな、と僕は思うのです。(略)僕がプロになることだって、普通に考えたら難しいことでした。(略)難しいことを難しいと言ったら、何もできない>(『栗山魂』111頁)

 そこから猛特訓が始まる。<とにかくバットを振って、振って、振りまくりました。手のひらにマメができ、マメが潰れて血だらけになっても、練習量を減らすことはできません。2年目のシーズンをスイッチヒッターとしてスタートするためには、左で打つ感覚を秋季キャンプでつかんでおくのは必須です。痛みでバットが握れなければ、バットと手をテーピングでぐるぐる巻きに固定して練習を続けました。ご飯を食べる時のハシも、左手で使うようにしました>(『栗山魂』112~113頁)


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