大陪審は起訴に足りる証拠があると考える場合であっても、起訴状を発布しないでおくことが判例上も認められている。権力者の不当な権力行使を防ぐためには大陪審に大きな権限を与える必要があるとの判断によるものである。ただし、大陪審が起訴状の発布を拒否した場合でも、検察官が同じ事件を別の大陪審に再付託することは合衆国憲法上認められている(再度の申し立てには新証拠の発見などを条件とする州もある)。なお、大陪審の審理には数カ月、場合によっては数年を要することもあるため、時の経過とともに免除される陪審員が現れたり、裁判所が減少分を補充したりすることもある。
大陪審を導入しているのは現在では米国のみだが、米国の検察官が政治的な性格を強く持っているため、大陪審が必要だと考えられている。連邦の検察官は大統領によって任命されるし、州の検察官は選挙で選ばれている。
米国では検察官経験者が政界に進出することも多いため、訴追が政治的意図に基づいて行われたと見なされることも多い。だからこそ、大陪審が最終的な訴追判断をする必要があると考えられているのだ。
では大陪審が非政治的かというと、その回答は容易でない。大陪審は一般住民から選ばれているために「無党派」というのが一般的な想定である。だが今日では、カリフォルニア州は民主党が強いリベラルな州、アラバマ州は共和党が強い保守の州というように、多くの州で党派色が明確になっている。そのため、州の大陪審による訴追は結果的に党派的になってしまう可能性がある。
ニューヨーク州でのトランプ訴追に関して、CNNの世論調査で4分の3が政局が一定の役割を果たした(52%が主要な役割を果たした)と回答した。アルビン・ブラッグ検事は民主党から立候補して当選した人物であり、彼に投票した有権者は政治的意図を込めて投票したはずだ。
ニューヨーク州はリベラルな州なので、大陪審の構成員にもリベラル派が多くなる可能性が高い。トランプと共和党が今回の訴追を不当と見なし、「司法の武器化」を批判する背景には、このような事情があるのだ。
事実認定のみを行う小陪審
小陪審は公判を受けて有罪か無罪かの評決を行うのが役目である。陪審員の仕事は事実認定であり、法律の解釈や量刑は裁判官が行うというのが基本原則である。事実認定と量刑の両方を裁判官と裁判員が一緒に行う日本の裁判員制度とは異なる。
陪審が判断するのは、被告人が悪い人かどうかではなく、「検察が出した証拠が十分かどうか」である。被告人が起訴されている犯罪の構成要件について、合理的な疑いの余地がなくなるまで立証されているかどうかを判断することが必要になる。
連邦の小陪審は12人から構成されるが、有罪か無罪の判定は全員一致で行われることになっている。州の小陪審について、かつてはルイジアナ州とオレゴン州は全員一致ではなく11対1や10対2での評決を認めていた。だが、連邦最高裁判所は、非全員一致の陪審評決は黒人などマイノリティの意向を実質的に無視しようとする意図に基づいていたとして、今日では州における陪審評決にも全員一致を求めている。
なお、評決に関しては理由を示す必要はなく、評決の内容について責任をとらされることもないため、陪審員は実質的に「法律を無視する権力」を持つ。「10人の真犯人を逃がすとも1人の無辜を罰するなかれ」という考え方が、陪審制の中核にあるのである。そして小陪審が無罪の判断を出した場合は、それを覆すことはできない。