ムガル帝国を語ることなくしてインドの歴史を語ることは不可能である。インドの人口の7分の1を占めるムスリムはムガル帝国の遺産である。にもかかわらず、教科書のムガル帝国に関する記述が縮小され削除されている。昨年6月に米ウォールストリート・ジャーナル紙コラムニストのウォルター・ラッセル・ミードが同紙に書いた論説によれば、ヒンズーのナショナリストにとって、ムスリムのムガル皇帝による統治はインド文明にとって英国の植民主義と同様の惨事であったと見なされている。
「マハトマ・ガンディーによるヒンズーとムスリムの結束の飽くなき追及がヒンズーの過激主義者を挑発することとなり、彼らは数度にわたりガンディーの暗殺を試みた」、あるいは「(ガンディーは)インドがヒンズー教徒のための国となることを望む人々に特に嫌われた」との記述は削除された由である。
教科書が洗浄した最近の出来事に、多数のムスリムが殺害された2002年のグジャラート州の事件があることは、この社説が指摘している通りである。この事件では、巡礼中のヒンズー教徒が列車火災で死亡したことが引き金となって、狂暴な暴力事件により1000人近いムスリムが殺害された。そして、グジャラート州の当時の首席大臣がナレンドラ・モディだった。
西側諸国にとっても難題
しかし、教科書の書き換えそれ自体が民主主義に対する挑戦とまでは言えないであろう。この種の問題を外国政府が批判することには困難が伴う。インド太平洋におけるインドの役割に期待する諸国にとっては、特に困難である。しかし、教科書の書き換えからも読み取れる、非ヒンズー教徒の排斥、あるいは自由な言論の封殺といった抑圧的な国内政治は、いずれ自ずと西側との関係を蝕む。
ただ、モディ政権がこのことに気付き、行き過ぎたヒンズー・ナショナリズムを抑制するかと言えば、目下のところ期待が持てる状況には見えない。