敢えて非礼を承知のうえで岸田文雄首相のエジプト、ガーナ、ケニア、モザンビークのアフリカ主要4カ国訪問(4月29日発、5月5日帰着)を振り返ってみるなら、先ず頭に浮かぶのは「暴虎馮河」の4文字だ。暴れ虎に素手で立ち向かい、大河を歩いて渡る。まさに「いのしし武者の勇」である。
5月4日に最終目的地であるモザンビークのマプトで行われた内外記者会見に臨んだ岸田首相は、一連の外交を5月19日開幕の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に関連づけ、「日本に求められているのはG7とグローバルサウスの橋渡しを行い、法の支配を貫徹することだ」と、今回の外遊を自画自賛気味に総括した。
岸田首相は首相就任前、自ら政治家としての資質の最上位に「聞く力」を挙げていた。だが、それだけで通用するほど国際社会は甘くはないはず。「考える力」と「決める力」とが相俟ってこそ外交が進められるのではないか。「聞く力」に止まっているのは怯懦(きょうだ)に通じ、「聞く力」と「考える力」をすっ飛ばして「決める力」を振り回すのは、やはり短慮というものだろう。
中国・ロシアに劣る日本のアフリカ貢献
よくよく考えれば。いや、よくよく考えなくても、今回の外遊で4カ国に約束したといわれる1700億円程度で、はたして日本は「G7とグローバルサウスの橋渡し」を務めることができるのか。日本を除くG7構成国は、日本に「G7とグローバルサウスの橋渡し」を真に求めているのか。
ウクライナ戦争勃発以後、にわかに言及されることになったような「グローバルサウス」だが、これまで岸田政権は国際社会のなかでのグローバルサウスの位置づけを明確に示したことがあっただろうか。そもそもの岸田外交が拠って立つ世界観が依然として不分明のままだ。
その手段の是非は一先ず措くとして、アフリカに対する中国とロシアの食い込みようは尋常ではないことは既に知られたところだ。ならば、ヒト・モノ・カネを統べて遙かに先行する中国とロシアを向こうに回し、この両国を凌駕するほどの〝投資〟を、これまで日本は行ってきたのだろうか。
たとえば今回のスーダン内戦である。内戦のスーダンから政府のチャーター機で日本へ脱出した日本人は48人。その多くはボランティア関係者と思われる。
だが4月27日に中国人民解放軍が明らかにしたところでは、8年前にジブチに設営した海軍基地を経由し、ミサイル駆逐艦・南寧、総合補給艦・微山湖などでスーダンから待避させた中国公民は1100人にのぼっている。おそらく、1100人の大部分はスーダンでビジネスを営んでいた中国人だろう。
単純計算でも48人(日本)と1100人(中国)の差がスーダンのみならず、アフリカ全土、さらにはグローバルサウスにおける日中両国の存在感・影響力の違いを反映している、と考えるべきではないか。
岸田首相は3番目の訪問国であるケニアで、同国がインド洋に面していることを踏まえ、日本の提唱する「自由で開かれたインド太平洋」構想実現に向けての協力を呼び掛けた。同国がインド洋に面しているという〝地政学的見地〟からの発想だろうが、やはり安直が過ぎる。