2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2023年5月11日

 ケニアを中国包囲戦略に引きずり込もうとする岸田首相の狙いは敢えて指摘するまでもないことだが、じつはケニアは中国にとってはアフリカ進出の橋頭堡でもある。だから日本が出掛けて行ったとしても、ケニアが簡単に中国と距離を置くとは到底考えられないし、粒々辛苦して手に入れたケニアを中国が簡単に手放すはずもないだろう。

アフリカ全土にさまざま刻まれる中国の歴史

 ここで中国とアフリカの関係史を簡単に振り返ってみたい。

 中国とアフリカの関係は、15世紀初めに大艦隊を率いて東南アジア海域からインド洋一帯の軍事制圧を試みた鄭和(ていわ)の時代にまで遡る。20世紀半ば以降だけ見ても、第2次大戦終結を機に始まった国共内戦を避けるかのように中国、香港、台湾などから多くの中国人が渡り、生活圏を築いている。もちろん、彼らを受け入れる基盤となったのは、大航海時代以降にアフリカ各地に移動していた中国人が築いていた中国人(華僑)コミュニティーだったのである。

 文革時代にも「労働人民の国際連帯」を掲げ、数万の労働者がアフリカ東海岸で鉄道建設に従事している。

 胡錦濤政権時(2002年~12年)、中国はさまざまな手段を講じて、アフリカ各地に経済発展を推進するために必要なエネルギー・鉱物資源の供給基地を構築していった。官民を問わずに多くの中国人――公務員、技術者、軍人、労働者、農民からマフィアまで――が中国から移り住むことで、アフリカは中国が国際政治というパワーゲームを展開するための有力な〝持ち駒〟になったのである。

 同時にアフリカは、中国で大量生産される安価な商品を消費する広大な市場に変貌してもいた。このような中国の自国本位の形振り構わぬアフリカ進出を結果として後押ししたのがアフリカ諸国の旧宗主国に対する嫌悪感・警戒感であり、G7メンバーに名を連ねる欧米の旧宗主国のアフリカ離れであった。であればこそアフリカ諸国が、旧宗主国からの「中国の援助は債務の罠」という〝忠言〟に耳を傾けるはずもなかったのだ。

 胡錦濤政権の襲った習近平政権は「一帯一路」の重要な柱と見なし、アフリカとの関係を一層深める。アフリカの大地に眠るアルミニウム、コバルト、コルタンおよび関連鉱物、銅、ダイヤモンド、天然ガス、金、鉄、石油、プラチナ、錫、チタン、ウランなどの資源はもとより、農地までも貪欲に手中に収めようとする中国の影響力は、初期の東部から始まり、中央アフリカ、南アフリカ、西アフリカ、北アフリカと拡大し、いまや北西アフリカ沖合の大西洋上に浮かぶカーボベルデにまで及んでいる。

 つまりアフリカ大陸を挟み、東のモーリシャス、セーシェル、レユニオンから西のカーボベルデに至る広大な領域で、いつの間にか中国系(華僑・華人を含む)の活動がみられない国はなくなっていたのである。

 アフリカ大陸全体での中国系居住者数については100万人から200万人超まで諸説あるが、最近の研究や報道から判断して、100万人超とするのが実態に近いと思える。

 以上を要するに、アフリカと中国との間には長く複雑な関係があった。アフリカ各地には中国の歴史の断片がさまざまに刻まれているゆえに、中国とアフリカの結びつきは日本人の想像を遥かに超えて長く深いことを知っておくべきだろう。

 こう見てくると、エジプト、ガーナ、ケニア、モザンビークの4カ国首脳の前に1700億円を積み上げたとしても、これまでの中国との関係からして、彼らがG7の強く目指す中国包囲の列にスンナリと加わるとは、とても思えない。


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