政権に支出削減を求めることの是非
そもそもの問題として、連邦債務上限引き上げと政府支出を関連付けて、連邦議会の共和党が政権を批判するのは、実はおかしいということもできるだろう。連邦政府の債務が上限に達しているのは、行政部門が勝手に新しく支出をしようとしているからではない。行政部門は議会が作成した法律を基本的に執行しているにすぎないからだ。
法律は二大政党間の協議を経て制定されている。年金や安全保障関係の法律はとりわけ二大政党間のコンセンサスがある。それを考えると、債務上限問題を政権のみに責任があると考えるのは妥当性に欠ける。
現在では、共和党が債務上限引き上げを求める条件として大規模な支出削減を求めている。それは正論のように聞こえるかもしれないが、必ずしもそうとも言えない。
債務の大半は年金やメディケアなどに起因しており、他の支出の金額は、これらと比べて少額である。年金などの根本的な問題に手を付ける意志は共和党にもなく、この問題に手を付けるか増税をしなければ債務は雪だるま式に上がり続ける。年金の削減を提唱する政治家は必ず落選するといわれるのは米国も同様なのだ。
根本的な問題に手を付けず、支出削減策としてバイデン政権と民主党議会が達成した立法上の業績を実質的に無効化しようとする共和党の戦術は、問題解決というよりも選挙対策と指摘されても仕方がないところがあると言えよう。
もっとも、現在共和党がこのように矛盾した態度をとること、そしてそもそも債務上限問題が発生していることも、世論の意向が反映された結果だとも言えるかもしれない。「政治家は世論に耳を傾けろ」という議論が時折聞かれるが、世論は矛盾した側面を持っている。
国民は税率は低い方がよいと考えて減税を求める一方で、個別のサービスについて問われると拡充を求める傾向が強い。AP通信等が行った調査(AP-NORC調査)によると、米国民の60%が政府支出は大きすぎると回答し、支出が少なすぎると回答したのは16%、ほぼ適正としたのは22%だった。
だが、同調査で具体的な政策について問うと、政府支出が多すぎると回答した人の割合が半数以上だったのは外国に対する援助(69%)だけで、その金額が全支出の中で占める割合は1%未満である。他方、社会保障(年金)、メディケア、医療保険全般、教育、インフラ整備などについては、約6割が支出が少なすぎると回答しているのである。世論の言う通り個別サービスを拡充していくと予算は不足するが、増税を認めないということになると、債務は増大してしまう。
近年では右派、左派問わずポピュリズムの傾向が強くなっているが、ポピュリストは支持者に対する具体的なサービス拡充を公約する一方で、費用は支持者とは関係のないところから調達すると約束する。左派は富裕層増税で費用を賄うと主張するし、右派は無駄の削減をすれば費用を賄うことができると主張する。だが、それは現実的でないのである。
なお、連邦政府の財政状況をめぐって、近年では予算が成立せずに政府が一時閉鎖する危険が時折発生している。予算が成立しなければ、連邦政府の職員に対する賃金を支払うことができないからだ。だが、債務の上限に達したとしても、(実際の現金はなくても)予算は存在しているため、連邦政府の職員も勤務を続けることになっている点が異なる点である。