また、人間に比べて驚異的なスピードで膨大なデータの読み込み・分析が可能なAIの活用によって、たとえばデータ入力・集計などの定型事務作業や、調剤、スーパー・コンビニのレジ打ちなど、自動化されて職業そのものがなくなる、あるいは大幅に人員が余る職種が出てくることも容易に想像ができるだろう。
AIによって仕事は奪われるのか?
一方で、新たに生み出される仕事があることも忘れてはならない。日本は高齢化が進み人口減少社会であることは誰もが知る事実で、新たに必要となるデジタルスキルやデザイン思考をもつ人材に対する供給は追いつかない、という大手コンサルティング会社マッキンゼーによる調査結果もある。また、AIには置き換えることのできない、人間だからこそ成せる領域があると筆者は考えている。
先日、東京大学が行ったAIによる模擬裁判のニュースには目を奪われた。架空の殺人事件の裁判官役をChatGPTが務め、弁護側と検察側は人間が担った。ChatGPTによる証人への質問もなされたが、傍聴人たちからはAIが判決を下すことに戸惑いを見せる声も出たという。
AIに法律データや過去の判例を膨大に読み込ませて傾向を学ばせることはできても、人間の心情までは学習させられない。そこにかかわる人々は誰一人として同じ背景や感情を持っておらず、どんなに過去の判例をひも解いても説明し切れない現実が起こり得る。裁判など法律的な争いについては、実はそうした要素が大きな意味を持つ。
こういった状況を踏まえ、米国では、7年ほど前からすでにAIロイヤーと人間の弁護士がうまく役割分担して事件に当たるという取り組みが始まっている。起きた事実を法律的な情報と照らし合わせて、客観性、公平性の観点から判断する部分はAIロイヤーが担当し、そのうえで人間の弁護士が依頼人をはじめとする事件関係者の人間性や心情を読み解き、法に照らして最終的な判断を下す。
裁判になれば「弁論」の機会が与えられ、裁判官に対して口頭による説得を行い、勝訴に持ち込む必要がある。これは人間の弁護士にしかできないことで、一連の言葉による弁護活動が依頼人の満足につながる。
つまり、法律を詳しく知っているだけでは弁護士の職務は果たせないのだ。生身の人間である依頼人や関係者からいかに話を引き出せるか、そして入手したさまざまな情報を法律の専門家として有機的につなぎ合わせ、依頼人の気持ちを周囲に納得がいくよう代弁し、最終的に法的な解決手段にいかに落としこめるか、という極めて多岐にわたる能力が求められる。
人間固有の能力について考える
弁論は、古代ギリシア時代から人間固有の活動として続けられてきた。相手を説得する方法を探究する学問として「レトリック」、日本語では「修辞学」と呼ばれているが、聞きなれない方も多いと思う。
相手の発言に対して「それはレトリックだ」などと表現して、相手をだましたり論点をすりかえようとする行為を批判する意味で用いられることもあり、あまり良いイメージで捉えられていない向きもある。しかし、本来の修辞学とは、古代ギリシア時代の哲学者アリストテレスが広めた学問で、その著書『弁論術』には、「言論を用いていることこそ、身体を使用すること以上に人間に特有なこと」であると記述されている。つまり、人間以外の動物でも身体を使って戦うことはできるが、言論を用いることは、人間にしかできない、ということだ。