国家、人と教育、経営。財産を3分の1ずつ使う
庄三郎の言葉を記録した『土倉庄三郎様直話』には、「自分の財産の3分の1を国家のために使い、次の3分の1を教育と人のために使い、残りの3分の1で一家の経営をしたい」というものがある。国とともに教育への投資は惜しまない覚悟が見られる。
1876年に庄三郎の住む川上村大滝に小学校が開校した際は、校舎にする建物の改築に始まり、書籍や筆記具に時計、地球儀まで寄付している。さらに男子に洋服、女子には袴の制服をプレゼントした。女子の袴も珍しいが、山村の児童が洋服を着ていたことに驚く。この制服は、横浜で仕立てられた紺木綿の開襟タイプのジャケットで、現存のものを目にすると、ちょっとジーンズにも似ている。なかなかハイカラな制服だ。
さらに中等教育を施す私学校として芳水館も設立し、これは後に村に寄付されて村立中学校となった。
学校への寄付は、同志社に梅花、日本女子大に加えて、大阪の清水谷高等女学校、市岡中学校への記録もある。また欧米への留学生の実家に仕送りしたほか、フェミニストの草分けともされる婦人活動家の景山英子の学費も援助した。なお次女の政子は、同志社卒業後に米国に留学して7年間もプリンナー大学で学んでいる。
晩年には、村に「大滝修身教会」を設立した。村民が教育勅語を元にさまざまな思想や、新たな学説を学ぶもので、庄三郎も自ら教壇に立ったという。