2024年7月20日(土)

Wedge REPORT

2023年6月2日

土倉庄三郎の没後に発行された絵葉書。千年杉と土倉翁(右より二人目)

「年間10万本から100万本、平均して30万本の苗を植えた」。吉野の林業家、土倉庄三郎が晩年に漏らした言葉である。15歳から約60年間で1800万本の木の苗を植えたというのだ。これがとてつもない本数、面積であるのは言うまでもない。

 庄三郎は明治の山林王である。その所有森林面積は、最大時で9000ヘクタールだったという。だが庄三郎が植えたのは吉野だけではない。自ら全国で植林事業を展開するだけでなく、全国を講演して歩いた。また、資産家に山林を所有して経営するよう勧めた。実際に山県有朋など山に投資した政財界人は多い。現在、日本第4位の森林所有者である三井物産(三井家)が山を持つきっかけも、庄三郎の勧めに応じた結果である。そうした山々における植林も含めたら、いったい何千万本の木を植えたことになるだろうか。

 なぜ、それほど植林に熱心だったのか。もちろん第一義的には、林業を行うためである。土倉家は植えて育てた木を収穫することを家業としていた。

日本全土がはげ山だらけ

 ただ、その前に知っておきたいのは、当時の日本は全土がはげ山だらけだったという事実だ。幕末から明治にかけて膨れ上がる木材需要のために過剰な伐採が進んでいたのだ。木材はマテリアルであるとともに薪炭などエネルギー源でもあり、日々の煮炊きや暖房に限らず産業用にも莫大な木材を消費していた。また農地の肥料にするため山肌の草や落葉が収奪され、土地は痩せていた。

 その頃に撮られた風景写真に写る山肌は、いずこも原野が広がっている。木のない山は、雨が降れば洪水を引き起こし土砂崩れが頻発する。そんな荒れた山を、林業を通して再生したいという思いが庄三郎には強かったのだろう。

 1899年、庄三郎が中邨彌六林学博士とともに出版した『林政意見』には、はげ山は毎年1万数千ヘクタールずつ増えているのに、植林面積はその1割にすぎない平均1340ヘクタールだと指摘している。各地で水害や干害を引き起こし、山の民は困窮している。


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