2024年5月19日(日)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2023年6月10日

 再審手続きがやたらに煩雑で、しかも時間がかかるというのも同様の理由であろう。裁判は絶対ではない。だからこそ、控訴や上告ができる三審制というものがある。

 そのプロセスを経た確定判決であっても、歴史の審判を受ける可能性は十分にあるという、いわば「確定判決への謙虚な姿勢」が欠落していると言わざるを得ない。

物理的なものにこだわる日本の法律

 2点目は、デジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れである。多くの場合に、保管スペースが足りないことが記録廃棄の主要な理由になっているようだ。

 だったら、重要な裁判記録はどんどんスキャンして、セキュリティの高いクラウドに保管し、念のためバックアップを別の場所に同じようにセキュリティを確保しつつ保管すれば良い。これは法律を改正すれば済むことだ。

 問題は、その法律である。日本の法律はとにかく「物理的なモノ」にこだわる。従って、この種のDX化を進めるには、いちいち「記録」について「文書」だけでなく「電磁記録」も可能だという文言を付け加えなくてはならない。

 ちなみに、「電磁記録」という表現を加えないと、デジタル契約書は無効であったし、それを改ざんしても何の罪にも問われなかった。つまり、大事なのは文章やその内容ではなく、法律としてはあくまで「モノ」を認識するという一種の「法哲学」があるようだ。

 こんなことでは、仮に将来、バイオ技術を使ったメモリが開発された場合には、そのように法律を書き換える必要があるなどという話になりかねない。とにかく、法制度も硬直化、形式化しており、その結果として紙が増えて大事なものでも捨ててしまうというのは、日本の文明が既に21世紀の世界に対応していないということになる。


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