こうして制度が編み上げられた経緯には「民衆教育」という、公教育とは別立ての、市民運動の歴史がある。学校や家庭の枠からこぼれ落ちる子どもたちを掬い育んできた、豊かで深いソーシャルアクションだ。本稿では触れずにおくが、関心を持った読者諸氏には是非、調べてみてほしい。
日本でも必要な「社会的通念」
以上、「子どもの多様な学び」を切り口に、フランスにおける児童福祉としての自由時間支援の枠組みと、そこで働く人々を資格保持者として養成・雇用している様子を記してきた。かなりざっくりとしたダイジェストではあるが、他国で多様な学びの環境がどう作られているか、一例をお伝えできたかと思う。
フランスが国としてこのようなシステムを作り、お金をかける根底には、「子どもは社会で育てる」との社会通念がある。学校・家庭の外にある子どもたちの自由時間を公が保護する法律は、その象徴的な一例だ。
翻って、政府方針として「子どもの多様な学びの環境整備の強化」が明示された今の日本社会には、それを可能にするための社会通念があるだろうか。
「多様な学びの場」を親や民間任せにせず、公が子どもに与えるべき福祉制度として整えていく共通認識が、広く築かれているだろうか。
それを問いながら、骨太方針を読み、今後の施策の実現を注視していきたい。
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