「特別支援学校は自分を出せる場であって、好きなことが出来るようになりましたから、その頃から自分を好きになれたんです」
「周りにはやりたくても、できない子たちもいましたから、自分がやらなければいけない、前に出なければいけないと思うようになって、高校生のときは生徒会長まで自分からすすんでやっていました。おとなしい子だったので、そんなこと中学時代の自分には考えられなかったし、車椅子マラソンをやっていなかったら「世界を目指す!」なんて絶対に言ってないですもんね(笑)」
兄の影響ではじめた車椅子マラソン
(写真:パラフォト/比嘉優樹
関東身体障害者陸上競技大会
主催 日本障害者陸上競技連盟)
「なんで車椅子マラソンかというと、今でこそ車椅子バスケや車椅子テニスがありますが、岡山県の自分が住んでいた地域にはありませんでしたし聞いたこともありません。車椅子マラソンはお兄ちゃんがやっていて、風を切って走るのがすごくかっこよかったんです。だから自分もやりたいって思ったんです」
高校1年生で出場した大会の5kmで優勝した。ただその頃は先生がいなければ練習が出来なかったため、週1回やるのが精一杯の状況だった。それは大会の前であっても変わりはなかった。
「もっと頑張りたい」と思っても環境が許してくれなかった。
木山が本格的に車椅子陸上を始めたのは、国立吉備高原職業リハビリテーションセンターに入所した18歳から。その半年後にJR西日本に入社してからは社会人アスリートとして、全て自己責任において練習回数を増やしていった。
平日の生活は、朝の9時から17時45分までは通常勤務。その後、競技場までは車で移動して20時まで練習という毎日である。トラックを一般のランナーたちといっしょに走り、競技場はギリギリ使えて20時までと、けっして現在の練習環境が整っているとは言い難い。
土日はロード(道)を走り、雨の日はジムで車椅子用のルームランナー(ローラー)で走る。また、練習メニューによっては雨の日以外にもジムを使ってウエイトトレーニングを行っている。