閉ざされた北京への道
「障害のクラスが分かれているんですが、2008年の北京パラリンピックの前にそれが変わってしまい、自分の実績が残っていないんです。今はT52*ですが、それまではT34の脳性麻痺のグループにいたんです。T34のままだったら今までの記録が日本記録として残っているんですが、進行性の病気なので北京の半年くらい前にクラス分けの判定があってT52に変更になったんです。北京の標準記録を突破したのに経験がない、実績不足という理由で出場出来ませんでした」
「今まで感じたことがないくらい悔しくて、ひたすら泣きました。そんな中でもたくさんの方から電話やメールを頂いて、すごく励みになったんです。自分は一人じゃない、たくさんの人たちに支えられているんだなって改めて実感しましたし、そんな人達に感謝の気持ちを込めて恩返しする為にも、あの“パラリンピック”という大舞台に立ちたい! という気持ちが大きくなり、強くなりました」
*注:競技者の競争が公平となるようにするために、クラス分けのシステムが存在する。競技者は、脊髄損傷、切断、脳性麻痺など自分の障害によって分けられる。脊髄損傷により車椅子を使用しているか手足を失った者は、クラスT51~T54(トラック競技)、またはF51〜F58(フィールド競技)。 数字が小さいほど障害の度合いは大きくなる。脳性麻痺や運動失調の競技者はT/F32~T/F38となるが、車椅子を使用する者はT/F32~T/F34、車椅子を使用しない(立つことができる)者はT/F35~T/F38となる。
社内では個人的に応援してくれる人はいるものの、スポンサーのいない木山は、合宿、遠征などの費用は全て自分持ちである。だから性格的には苦手でも、競技力を高めるためには自分からスポンサー探しを行わなければならなかった。
勇気を出して「お時間いただけないでしょうか」と言っても「今はちょっと……」と何も聞かないうちに断れた。
(写真:パラフォト/佐々木延江)
初の日本代表選出は2010年の「広州アジアパラ競技大会」である。翌2011年には「IPC世界選手権大会」に出場。そして念願かない2012年ロンドンパラリンピックに出場を果たした。
「2010年アジア大会が最初の日本代表です。ぜんぜん実感わかなかったです。でもロンドン(パラリンピック出場)が決まったときは素直に嬉しかったですね」
だが、パラリンピックには400mや800mという木山の得意種目がない。あるのは100mと200mの瞬発力がものをいう競技だけだ。車椅子マラソンから競技に入った木山の漕ぎ方はマラソン系で、長い距離でこそ力を出し切ることができる。パラリンピックは筋力の弱い木山にとっては苦しい種目ばかりだったと振り返る。