森山未來の虚無的な表情、尾野真千子の可憐さ
森繁と淡島が演じた1955年から60年近くが経つ。名優ふたりもいまは亡い。「夫婦善哉」に取り組んだとき、ふたりには、戦中と終戦後の混乱の経験がつい昨日のことであったろう。織田作の原作が戦争のカゲのない、大正と昭和を描いて、映画の製作にかかわった人々の記憶には拭い去れない近い過去のカゲがあった。
満州の放送局でアナウンサーをしていた森繁が、ソ連軍の侵攻によって、悲惨な状況に落とされた人々のリーダーとなって、引き揚げてきたエピソードは知られている。
暗い思い出をはね返すように、あほな演技のなかで、どこかひょうきんな底抜けに明るい、柳吉になっていったのではないか、と思う
NHK土曜ドラマ「夫婦善哉」は、戦前ばかりか戦後も知らない、若いふたりの俳優を起用したことによって、織田作が小説を執筆した時点から、大正から昭和の初頭をみつめているような趣がある。いいかえれば、大阪を舞台として、風景や色、音によって、あの時代をよみがえらせているようにみえる。
柳吉を演じる森山未來の虚無的な表情といったらどうだ。アナーキズム(無政府主義)の思想に共感した、あの時代の青年はこうだったのではないか。
竹久夢二が描く美少女たちは、デフォルメ(誇張)されているとはいえ、尾野真千子の蝶子の可憐さそのものではないか。 (敬称略)
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