軍隊の教練や体育が、軍隊と学校教育という国家主導で行われていたとすれば、工場労働とスポーツはグローバルな形で入ってきました。ヨーロッパでは当時プロテスタントが力を持っていたため、カトリックであるYMCAがアジア各国に積極的にバレーボールやバスケットボールを、キリスト教の布教活動とセットで広めていったんですね。
日本ではそこまでYMCAの影響力がなかったため、アメリカ留学から帰国した人たちが、日本の工場の中でバレーボールを始めとしたスポーツを広めていきました。ただ、それはあくまでレクリエーションとしてのスポーツで、競技としてのスポーツではありませんでした。
競技としてのスポーツは、一般の国民がプレーするものではなく、旧制高校や帝国大学などの一部のエリートたちだけがプレーしていました。
――戦後、繊維工場でレクリエーションとして、またスポーツ競技としてバレーボールが盛んに行われるようになり、それが東洋の魔女を生み出すことになるわけですが、体を健全にするため以外に会社側がバレーボールを推奨する意図はあったのでしょうか?
新氏:スポーツには労働現場で行われるレクリエーションと、スペクタクルという2つの要素があります。スペクタクルは見世物性と競争性の両方を持ち合わせる概念で、見世物性とは簡単に言えば、人間の体が特異なパフォーマンスをすることにより、人々がある種驚嘆することを意味します。たとえば、昔、見世物小屋が祭りにありましたが、あれがスポーツと違うのは競争がなく、かつその場でしか見ることができない、つまりメディアとつながっていないことです。
繊維工場で行われていたレクリエーションとしてのバレーボールは、あくまで保健、衛生的見地からのバレーボールの励行で、会社側として競技的発展を望んでいるわけではありませんでした。ここにはバレーボールを余暇の善用に役立てようという思惑や会社としての共同性を高めようという意図があった。
レクリエーションとしてのスポーツを底辺とすれば、その底辺が積み重なり、その頂点に位置するテレビやラジオといった視聴覚メディアと結びついているのがスペクタクルです。つまり、底辺が積み重なるほど必然的にスペクタクルができてしまう。東洋の魔女は、工場単位であったチームから会社単位のチームへの移行、日本初のオリンピック、女子バレーボール初のオリンピック、NHK,民放全局での生中継という4つの要素により会社として意図しない結果を生み出した。しかし、会社側としてはあくまでレクリエーションとしてで、スペクタルにしたくはなかった。そこでスペクタクルとレクリエーションの奇妙なバランスが崩れてしまったのです。しかしながら、東洋の魔女は大きな商品的価値を持ってしまい、そのことを会社も知ってしまった。