2020年東京五輪決定について、ジュネーブの大学生さんから面白い投稿を頂いたので掲載します。
まず、2020年に東京でオリンピック及びパラリンピックが開催されることを心から誇らしく思う。おめでとう、そしてありがとう。結果が発表された時の会場の歓声には思わず涙が出てしまった。スイスの大学進学国家試験を無事終えたばかりの自分にとっては嬉しさ倍増のめでたいニュースだった。
さて、東京の勝因は一体何だったのだろう? 東京は世界で最も清潔度そして安全性に優れている都会の一つであり、その文化的側面もとても魅力的だと海外でもよく知られている。しかし勝因はそれだけではないと思う。
まるで古代ローマの政治家たちの演説
私は、IOC総会での東京招致委員会代表のスピーチに圧倒された。特に、代表全員のスピーチが日本語ではなく、通訳者を介さない英語やフランス語で直接語られたのは素晴らしかった。世界を舞台にして英語やフランス語でスピーチをすることほど説得力があることはない。
また、それだけではなく私は彼らのeloquence(雄弁さ)に魅了された。まるで古代ローマの政治家たちの演説に立ち会っているようだった。
私はスイスの学校で中学校高学年から高校卒業までラテン語を専攻科目(他の学科よりも重点的に学ぶ選択科目)として選んだが、その中で古代ローマの文化はもちろん彼らの哲学、歴史、そして神話も勉強した。中でも最初に学んだのは、レトリックに最も長けていたと言われている雄弁家キケロの人生であり、彼を通してローマ人にとってのレトリックの大切さを学んだ。キケロもそうだが、ローマの多くの知的青年達はレトリックを学び雄弁家となるためわざわざギリシャまで修行に行くのがならわしで、その修行を経て初めて政治の道を歩む器として認められた。
雄弁であるための「5つの原則」
そもそもレトリックとは何なのだろう?
レトリック(修辞学)は紀元前5世紀にギリシャで生み出された言葉で説得する技巧・芸術で、その目的は雄弁、すなわち、耽美的な喜び(delectare)や感情(movere)をもって議論(docere)で説得する(suadere) ということにある。キケロにとって、レトリックは聴衆を説得するためだけでなく、個人が生きる上での倫理的、知的生活にかかわるものだった。キケロは、演説者は正直かつ話すことに長けているべきであり、歴史、哲学や詩など多面的教養が必要であると確信していた。従って、キケロが政治的側面だけでなく哲学や著作において優れていたのも当然。