2024年12月22日(日)

オトナの教養 週末の一冊

2012年8月3日

 現在行われているロンドン五輪。テレビで見ている限り、選手が懸命に競技をしている姿、いわば舞台上での姿しか見ることができない。ではオリンピックの舞台裏はどうなっているのか。ロサンゼルス五輪以降、オリンピックは商業化されたと指摘され、裏舞台では巨額の金が飛び交っている。そのことはクーベルタンが始めた近代オリンピックの精神を汚すものなのか。オリンピックの商業化の流れを歴史的に振り返りながら、その商業主義の是非を論じたのが『オリンピックと商業主義』(集英社)だ。著者でスポーツライターである小川勝氏に「オリンピックの商業的価値」を中心に話を聞いた。

――そもそもオリンピックを主催する国際オリンピック委員会(IOC)とはどんな組織なのでしょうか?

『オリンピックと商業主義』
(小川 勝、集英社新書)

小川勝氏(以下小川氏):IOCは世界にオリンピック運動を推進する組織です。日常的にオリンピック運動を推進していますので、4年に一度のオリンピックはその運動のひとつに過ぎないのです。

 また、IOCには最多で115人のIOC委員が在籍できることになっています。彼らは、オリンピック運動の理解と普及のためにIOCが世界各国へ派遣している人たちです。そもそも近代オリンピックの創始者であるクーベルタンを筆頭に、初期のIOCという組織はヨーロッパの貴族のような特権階級の人たちのプライベートな組織でした。ですから、国際的な公的な機関とは成り立ちが異なります。

――クーベルタンが始めた頃のオリンピックと現在のオリンピックの大きな違いは何でしょうか?

小川氏:運営に関わる金額が大きく違います。初期のオリンピックでは、参加する選手の旅費や滞在費はすべて自前でした。また、先ほど説明したようにIOC委員は特権階級の人たちでしたので、活動費は基本的に自前でした。

 他には、参加国数が大きく違います。テレビ放映のなかった1950年代の参加国数は80カ国に満たない程度でしたが、アテネ五輪では200以上の国と地域が参加するようになった。つまり、世界中から参加できるようになりました。近代スポーツを世界中に広めることがクーベルタンの目的でしたので、その目的には近づいています。


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