――戦前、戦後と繊維工場ではレクリエーションとしてのバレーボールが盛んに行われていたと。レクリエーションというと学校でのオリエンテーリングなどを思い出すのですが、レクリエーションは本来どういうことをさすのでしょうか?
新氏:レクリエーションは英語で「recreation」です。つまり「再・創造」を意味します。何を「再・創造」するかと言えば“体”です。つまり、工場労働で疲弊した体を、次の日きちんと働けるように「取り戻す」ことがレクリエーションなんです。一般にレクリエーションというと、キャンプやオリエンテーリングなどと思われがちですが、音楽鑑賞でも、ピアノを弾くでも、バレーボールでも野球でも、リフレッシュできて体が回復すればいいわけです。
ただ、過度に体を使うと疲れてしまいますから、レクリエーションに適したメニューをYMCA(キリスト教青年会)が積極的に考案しました。そのなかのひとつがバレーボールでした。バレーボールは、敵と味方のあいだで体の接触がなく、女性や高齢者、子どもでもラリーを続けられる特徴があります。
――それこそ高度成長期に、会社の屋上で男女数名がバレーボールをトスしている映像を観たことがあります。
新氏:そういう楽しみ方も出来るので、レクリエーションにふさわしいとしてバレーボールが考案されたんですね。
――どうして工場労働でレクリエーションが必要とされたのでしょうか?
新氏:当初、工場労働に携わっていた人たちに女性や子どもが多かったためです。第1次産業の、特に農業での力仕事を主に男性が担っていたため、農業が閑散期に入ると、女性や子どもが工場労働に従事することが多かった。しかしまだ体も出来上がっていない子どもたちや体力のない女性が、繊維工場で働くことで、体の疲弊が問題になりました。繊維工場、特に紡績工場では糸くずで肺や喉が悪くなったり、長時間労働の上に姿勢が一定なので腰も悪くなったりしました。そうした問題があり、女性や子どもたちの体を、少しでも健全にするためにレクリエーションが行われていました。
――戦前の日本にもYMCAを通してレクリエーションやスポーツが入ってきたのでしょうか?
新氏:戦前の日本において、我々が今スポーツと呼んでいるものには、大きく3つの流れがあります。1つ目は、軍隊の教練のようなもので、2つ目が体育です。そして3つ目が労働現場で行われていたものです。