2024年5月16日(木)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2023年11月5日

不可解なニュースの扱われ方

 李氏の死去を中国の民衆は「被心臓病(心臓病にさせられた)」と揶揄している。もちろん李氏が暗殺された証拠はない。

 ただ、李氏の死去に対して、現指導部の対応はごくごく冷たいように見える。人民日報の10月28日の紙面はトップだったが、紙幅も字数もそこまで目立つものではなかった。

 通常であれば、一面すべてを使っての追悼記事となって然るべきレベルの人物だ。そこから政治的業績をあまり目立たないようにしたいという意図を感じてしまう。

 李氏への訃報を読んでみても、得意分野であった経済政策には一切触れられていない。むしろ「習近平同志を核心とする」という文言が多く見られ、誰の死亡ニュースかわからないぐらいである。

 一方、党中央の冷淡気味の扱いとは対照的に、李氏の故郷の実家などに大量の献花が届けられて道を埋め尽くしているという。李氏を懐かしむ思いだけではなく、現体制への大衆の不満も込められているとみることができる。

次第に広がっていった習近平との距離

 李氏は中国共産主義青年団(共青団)の出身だ。共青団は、鄧小平体制下で開明的な党エリートを育成するための組織でその結束力と団結力から「団派」と呼ばれた。

 団派は総じて学歴が高く、なかでも英俊で知られた李氏は若くして訪日団に選ばれるなど将来を嘱望された。中国共産主義青年団の中央で15年にわたって働き、胡錦濤から可愛がられ、未来の国家指導者として育成された。

 学者肌で政策を考えることを好んだ。地方視察では、地方幹部が上げてくる課題や数字にすらすらと反論し、「どういうことだ?」と詰め寄ることが多かった。

 中国の指導者たちが普通は宴席に出て「関係」を構築することを目指すのに対し、宴会の出席をせず、カップヌードルを秘書に作らせて資料を夜まで読み込んだ。自ら簡素な食品を携えて出張するなど、汚職からは最も縁遠い人物、と目されていた。

 中国の体制には一つの暗黙の了解があった。党は総書記、政府は首相が舵取りを行うことだ。中国では当然、党が優先。だが、特に経済については首相に任せる不文律があり、江沢民の下の朱鎔基や、胡錦濤の下の温家宝などの「宰相」役が辣腕を振るった。

 本来、李氏に期待されたのも経済政策で、李氏が当初の思惑とは違ってナンバー2となっても、中国社会では「党ー習近平氏、政府ー李氏」の役割分担でうまくやっていけるだろうと楽観的に思っていたものだ。


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