2024年11月21日(木)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2023年11月5日

 首相の就任当初は「リコノミクス」と呼ばれた民間の力を活用した経済政策を打ち出し、中国経済はにわかに活気づいたようになり、国際的にも李氏の評判は高まった。ところが、習氏は李氏から実権を奪い、国有企業や地方政府への重点的配分、アリババのような新興企業への圧力など、李氏の経済政策と相反する方向に動いたため、李氏と習氏との関係も冷え込んだ。

 2016年の全国人民代表大会(全人代)報告のとき、李氏の施政報告に対して、習近平は拍手せず、会話せず、握手もしない「三無習李」が話題になるほどだった。李氏の経済政策を部下に批判させ、実権を取り上げて徐々に表舞台から遠ざけていった。

習近平体制の集権化は完成か

 李氏は13年に着任するとき、記者会見で「全国の人民の付託を感じ、重大な責任を感じる」と語っていたが、22年3月の最後の記者会見では「習近平同志を核心とする党中央の指導のもと……」と語った。着任時には一言も触れなかった習氏に触れたのは、李氏克強の首相10年の変化を物語っていた。

 ただ、退任後も李氏の人気は根強く、不動産不況も重なって、「李氏がいれば」との待望論も流れていた。それに習氏が苛立ちを強めていたことは想像に難くない。

 とはいえ、李氏が殺されるまでの理由もなければ、反習近平の動きを画策していたという話も聞かない。そもそもそういうキャラでもない。だからこそ、「あの李氏ですら」という言いようのない不安感が中国社会に漂っている。

 習近平体制の集権化は、李氏の死去で完成したとみることもできる。それは体制に異論を唱えた者はナンバー2の権力者でも許されないという現実である。粛清が事実かどうかは別にして、人々がそのように信じていることが問題なのだ。

 李氏は決して英雄ではない。在任中、習氏との権力闘争を戦い抜けなかったうえに、このような非業の死を遂げてしまったのは、冷たい言い方かもしれないが、李氏の弱さが招いたことでもあっただろう。

 時代も李氏に味方しなかった。米国は中国を競争相手と認定し、経済の切り離し(デカップリング)を仕掛けた。欧米協調路線であった李氏の立場はそれで苦しくなった。コロナによる経済活動の停滞も、李氏のような自由化論者の政策遂行者にとってはハンデであっただろう。

 「中国の夢」「偉大なる中華民族の復興」を掲げる習近平時代への完全移行が、李氏の死をもって完成したとみることができる。それは言うまでもなく、改革開放時代の終焉でもある。李氏は首相から去る時に「天は見ている」という言葉を残したが、皮肉なことに、自らの死によって歴史に刻まれる名言となった。

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