2024年12月22日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2023年11月1日

 16世紀前後のルネサンス期、フィレンツェ共和国で活躍した外交官・政治思想家のニコロ・マキャヴェッリは、その代表的著書『君主論』(Il Principe)のなかで、抜き出た政治リーダーには「Virtu」(ヴィルトゥ、個人のもつ政治的技量)と「Fortuna」(フォルトゥナ、時勢や天意のめぐりあわせ)という二大要素が備わっていることが、重要であることを説いた。その総和が、政治の本質である権力闘争と生存競争を勝ち抜く上で、必要不可欠となる。10月27日、中国の李克強前首相が滞在先の上海で、心臓発作によるあまりに突然の死を迎えたとの報道に接して、筆者が思いをめぐらしたのは、彼にとっての「Virtu」と「Fortuna」とは何であったのか、ということであった。

3月に首相を退任した李克強氏(右)が10月27日に心臓発作で亡くなった(2023年3月、AP/アフロ)

 2013年に首相に就任し、今年3月に退任したばかりの李克強は、享年68歳であった。1955年に安徽省の地方官僚の家に生まれたが、生来の慎重な性格が幸いして、文革期には大学進学が遅れた程度で大きな影響は受けず、23歳で北京大学に入学している。

 そつのない勉学秀才のタイプであり、学部では法学をおさめ、後には大学院でも経済学博士号を取得している。転機となったのは、学部卒業後に「中国共産主義青年団」(共青団)の幹部に取り立てられたことであった。

 共青団は党国家システムのなかで独自の官僚エリート人脈を形成し、高級幹部への登竜門でもある。そして、ここでの活躍を通じて、共青団の先輩であり、後に国家主席となる胡錦濤の知遇を得て、その強い引き立てを受けることになる。

 こうして李克強は、共青団という党国家システムを担う中核組織の一つで、エリート幹部として順調な出世を遂げた。1993年には全人代常務委員、97年には党中央委員、98年には河南省の副省長(後に省長代理)、2004年には遼寧省の党書記に就任した。

 そして、次第に胡錦濤の後継者の一人と目されるようになり、現に胡錦濤にとっての意中の後継者は李克強であったと言われる。まさに李克強は、個人のもつ政治的技量としての「Virtu」を持ち合わせ、これが時勢のめぐりあわせである「Fortuna」と掛け合わさった結果として、この時期までは確実に歩を進めていた。


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