中国の前首相、李克強氏が10月27日午前零時10分、上海市内の病院で逝去した。享年68歳。27日朝8時に発表されたときの理由は心臓発作というが、経緯の不自然さから「粛清」説が中国内外で燻り続けている。
その真偽が短期的に証明されることはないだろう。疑問点の多い李氏の死亡は、現在の中国の体制に対して内外の人々が抱く不安感を強く刺激すると同時に、1980年代以来続いた改革開放の時代が完全に幕を下ろしたと位置付けられる事案でもある。
飛び交う死亡前後の憶測
人々が粛清説を信じる理由には、死亡をめぐるあまりに不自然な点にあった。一つは発生から発表までの間に、一部のメディアが26日夜には速報として死亡を報じたことだ。素早く削除されたが、まるで死亡予定稿があったごとく。
26日夕方にはSNSでも死亡説が広がっていた。中国での発表などでは、人工心肺装置(ECMO)などを使って生命維持に努力が続けられたというが、実態としてはすでに死亡が確認されており、「努力」の痕跡を示すためにあえて発表を翌朝8時まで引き延ばした、との観測が出ている。
さらによくわからないのが、運ばれた病院が中国医学専門の上海中医薬大学附属「曙光医院」であったことだ。上海には心臓内科では全国トップレベルの復旦大学附属「中山医院」がある。もし中山医院に運ばれていれば、当然、救命の可能性は高まった。
退任したとはいえ国家最高級指導者だった人物の救命は何より優先される事項であるだけに、搬送をめぐってはこのように理解し難い点が残されている。
確かにもともと李氏の体調は悪く、在任中も顔色が悪い時が多かった。だが、引退後は体調も回復したと言われ、8月31日には敦煌の遺跡視察に出かけていた。
本来ならば完全引退をしなくてもいい年齢で、習近平より3歳若い。まだまだ経済政策ついても提言できることもあっただろうし、伝記や発言録も完成させていなかった。
今思えば、昨年11月の中国共産党大会で胡錦濤が会場から連れ出される際に、自らが手塩に育てた李氏の肩に手を置き、何かを語りかけていた。もしかすると「気をつけろ」というメッセージが込められていたのかもしれない。