キッシンジャー元米国務長官が11月29日に100歳で死去した。キッシンジャーは米外交に最も影響を与えた人物であり、米メディアにはその功罪についての論評が数多く発表されている。ここでは、それらの中から、ワシントン・ポスト紙のコラムニスト、デビッド・イグネイシャスによる11月30日付の論説‘The lessons from my 40-year conversation with Kissinger’をご紹介する。その主要点は次の通り。
キッシンジャーの伝記記録者たちは、彼の思考様式を形作る一種のロゼッタストーンを、1954年の彼のハーバード大学の博士論文の中に、かなり前に見出していた。論文は3年後、“A World Restored: Metternich, Castlereagh and the Problems of Peace, 1812-1822.” (邦題『回復された世界平和』)として出版されている。
同書の主題は、ナポレオン戦争を終わらせ欧州に一世紀近くの相対的な平和をもたらした、1815年のウィーン会議をめぐる外交である。当時の現状維持の大国 (英国とオーストリア=ハンガリー帝国) が台頭する大国(革命後のフランスとドイツ)を如何に封じ込めるかという物語であり、主人公はオーストリアの外務大臣クレメンス・フォン・メッテルニヒ伯爵。後年否定しているが、メッテルニヒは若き日のキッシンジャーにとり手本になったとみられる。
メッテルニヒの勝利は、何十年も続く安定のための構造を作ったことだ。それは、キッシンジャーの外交キャリアを通じての目標でもあった。彼の主な課題は、ソ連を牽制することだった。
彼はそれを、「デタント」 として知られる軍備管理交渉と個人外交を通じて行った。ソ連を牽制するために、中国への開放を画策し、1972年のニクソン大統領による北京訪問に結実した。
キッシンジャーの外交は、メッテルニヒの外交と同様、明らかに道徳的ではなかった。安定は、それ自体が目標だった。
国益に関する現実主義は、政策立案者の唯一の信頼できる指針だった。理想主義は解決するよりも多くの問題を生み出すと考えた。平和を強調しすぎればかえって戦争屋の利益になると恐れた。
キッシンジャーは、「無秩序な正義と不正な秩序のどちらかを選ばなければならないとしたら、私は常に後者を選ぶだろう」と語ったという。多くの評論家がキッシンジャーを標的としたのは、このような痛烈な現実政治への傾倒ゆえだ。
キッシンジャーは、「平和」はキメラ(合成怪物)かもしれないが、公然たる紛争を回避するための地域の安定した勢力均衡は達成可能であり、それ以上望むべくもないのかもしれない、と考えていた。
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イグネイシャスはワシントン・ポスト紙の著名な外交・安全保障担当コラムニストであり、上記の論説は、キッシンジャーとの40年にわたる対話を踏まえて随想したものである。思考様式としてのキッシンジャー外交のエッセンスを、その淵源にさかのぼりながら簡明に描いており、興味深い。