2024年12月11日(水)

WEDGE REPORT

2023年12月5日

 故キッシンジャー米元国務長官は、「国際政治における巨人」だった。半世紀以上にわたって米国の外交政策をリード、その影響力は各国にも浸透していただけに、全世界から哀悼、惜別の表明が相次いでいる。

 ベトナム和平への道筋、米中関係の革命的な転換など、その功績は多大というべきだろうが、人権無視の現実外交などと「負の評価」も少なくない。

米国の外交政策をリードしてきたキッシンジャー。日本にとっては苦い経験も多い(ロイター/アフロ)

 わが国においてキッシンジャー氏を語るとき、忘れられないのは、1971年に日本の頭越しに行われた米中接近での電撃訪中だ。わが国外交にとって、長年のトラウマとなった、あの事件だ。

 氏の死去を機会に、キッシンジャー外交から日本が得た教訓に思いを致し、自省してみるのも悪くない。

評価割れる「現実主義外交」

 氏の死去に対して、米国のバイデン大統領は「若き上院議員と国務長官としてはじめて会って以来、われわれの意見は時に激しく対立したが、彼の並々ならぬ知性、戦略的目標は明白だった」と故人を偲んだ。

 中国外務省の汪文斌報道官は「中国人民の古き良き友人であり中米関係の開拓者だった。中米両国は、氏のビジョン、外交的知恵を継承し、安定した関係の促進をはかるべきだ」と米中関係への功績をたたえた。 

 キシンジャー外交の評価をめぐって米紙「ワシントン・ポスト」は、「国際政治に現実的政策でアプローチし、世界において功罪相反する評価を受けた」とその手法を分析。ベトナムからの米軍撤退、米中関係改善の一方で、チリの軍事クーデターへの肩入れ、イランやパキスタンでの反政府活動に対する人権抑圧の黙認など、「暗部」も指摘した。

日本にとって忘れられぬ北京極秘訪問

 日本の各メディアはそろって、71年7月15日に突如発表されたキッシンジャー氏の北京極秘訪問、それが日本にもたらした大きな波紋をあらためて振り返った。

 当時、ニクソン政権の大統領補佐官(国家安全保障問題担当)だったキッシンジャー氏は、国交のない中国を電撃的に訪問、周恩来首相(当時)らとの会談で、ニクソン大統領の訪中という劇的な政策変更について意見交換した。

 このニュースに世界は仰天した。

 日本政府に対する米側からの事前説明は一切なく、発表のわずか30分前に連絡がなされたということもあって、「背信行為だ」と日本の世論は激高。佐藤栄作首相率いる当時の政権の外交的失策が批判された。

 その翌月にドルの兌換を停止した経済・金融政策の大きな転換とあわせて、日本では「ニクソン・ショック」と呼ばれた。

 米政府高官の訪中がなぜ、日本に大きな波紋をもたらしたのか。それを理解するためには、当時の中国をめぐる複雑な国際情勢を知る必要がある。


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